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takeの感想文マガジン

映画・ドラマ・アニメ・読書・の感想・レビューを綴るブログです

ブラックラグーン

アニメ

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僕の好きなアニメ1位の作品です。

 

何がいいか

 

まず、画がいいんです。目がでかくない。

僕は目がでかいアニオタ好みの萌えキャラは生理的に受け付けないので。

シリアスタッチというんでしょうか、こういう画のタイプ意外と少ないんですよね。

もちろん画だけでなく内面も魅力的な女性がメインキャストにいる事も重要な事で、
この作品のレヴィはアニメ史上もっとも僕の好みのタイプの女性と言えます。

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ウジウジしていない。弱さを見せない。

このアニメ、アニオタ界ではいまひとつ人気が上がらないのはレヴィが強すぎることが一つの要因になっているようです。アニオタの好みはうじうじ悩んだり弱かったりする登場人物が成長していく話のようで、初めから強すぎるというのはつまらないという評価になるようです。しかし精神的にも肉体的にも強くハードボイルドに生きるレヴィも大きなくくりではツンデレキャラです。「ツン」の部分が筋金入りであればあるほどに、ごくたまにみせる「デレ」の部分に強烈に心惹かれるわけです。薄っぺらいツンデキャラらとは格が違うんです。

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名シーンのロックと煙草の火をつけあうシーン

レヴィがみせるギリギリの「デレ」部分に、ああレヴィも女の子だなと胸を打たれました。

 

この作品の独特のキザなセリフ回しは賛否あるようで、僕は実はあまり好きじゃないです。

確かにちょっとキザすぎるし、回りくどすぎたり、実際銃撃戦のさなかにそんな事しゃべってる場合じゃねえだろとも思います。

 

しかしまあ無理してカッコつけるのがハードボイルドの哲学ですから、この作中の登場人物たちも、そうして頑張って無理してカッコ付けて、ギリギリのところで精一杯生きていると思えば、あたたかい目で見守ることが出来ます。また、そんな中に時折ひときわ光る名セリフがちりばめられているので、なおさら憎めません。

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「お前、生きようとしたな」

他でもたびたび取り挙げられている名セリフです

レヴィと日本のヤクザ銀次の対決のシーンでのことです

実力拮抗する二人の死闘はおもわぬ一瞬に決しました。

それは銀次の所属する鷲峰組の若い娘の組長雪緒の言葉です

「私たちは生きるために戦っているつもりです」

二人の対戦をそばで見守っていた雪緒とロックの会話の流れの中の言葉でした。

その言葉が耳についた銀次の動きが瞬間鈍り、

そのすきをレヴィが容赦なく打ち抜いたのでした。

そのときレヴィが絶命する銀次に向かってはいたセリフ

「お前、生きようとしたな」

です。

これは衝撃ですよ。

普通まあ他のアニメなら十中八九は生への執着がギリギリところで生死を分け

生きる(バトルものなら勝つ)のが普通ですが

この作品は、生への執着があったほうが負けたわけです。

このシーンに何を感じるかは人それぞれでいいでしょう。

ぼくは単純に覚悟の話だと受け止めます。

どんな世界でも、腹をくくって覚悟しているほうが突き抜ける。

あとはやはり「刹那」の美学でしょうか。

いろいろと先々の夢や希望を背負うとその分怖さや制約も生まれ不自由になる。

そんなもの捨てて、瞬間瞬間を生きるほうが結局うまくいくこともある。

なんてことを思ったり。

いずれにせよ哲学的な余韻が残るいい作品でした。

 

訣別の街

映画

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1996年アメリカ

アルパチーノ/ジョンキューザック

 

後世に語り継ぎたい名作映画3

 

ニューヨーク・ブルックリンで警官とマフィアとの銃撃戦が発生した。警官とマフィアは相打ちとなり両者が死亡し、さらに流れ弾が当たった黒人少年も死亡した。市民から絶大な支持を得ているニューヨーク市長ジョン・パパス(アルパチーノ)は市長補佐官のケヴィン(キューザック)の反対を押し切って事件で死亡した少年の葬儀に参列し弔辞を述べた。

死亡したマフィアは保護観察中であったが、懲役刑ではなく保護観察処分が下された当時の経緯に不自然な点があることにケヴィンは気づく。ケヴィンは調査を進めるが、情報提供者が次々に殺害される。判決が意図的に軽減されていた証拠が揃い、関与が明白になった判事スターンにケヴィンは辞職を迫る。スターンは自身がマフィアに買収されたことを告白。そしてその買収にはジョンの盟友である政治家アンセルモが関与していること、さらに政界にはニューヨーク・マフィアの1人ポール・ザパティから裏金が流入していることも告白した。

 

政治家と判事とマフィアの癒着を、

若い市長補佐官ケヴィンが暴いていくという話です。

単純に、正義感あふれる若手補佐官が、悪徳政治家を成敗するという話にせず、

明白な善と悪の目線を持たず、人間のグレーな部分に一定の愛情をもって描かれている感じがいいです。

「一瞬で判断するな」

「冷たく裁くな」

「単純な善悪など無い」

「人生はタイルじゃない、モルタルだ」

・・・・・・・・

「判事には温情ある対処をたのむ」

スターン判事の不正の証拠をつかんだケヴィンが

辞職を迫りに出かける前、ジョンと対峙した時のセリフです。

 

ちょっと余談になりますが

日本の政治家たちもよく、どこかの講演会での演説のワンフレーズを切り取って、

ニュースやワイドショーなどで批判され、そのニュースをみただけであの政治家は悪だと決めつける感じ。人間そんな単純じゃないだろうと。

一瞬で、一部分で、単純に善悪を決めつける傾向はよくないなあと思ったりしたのです。

 

しかし、市長であるジョンの不正関与も明らかとなり、ケヴィンはジョンと対峙します。

そこでジョンは再三「メンシュカイト」という言葉を連発するのですが、

「メンシュカイト」とは・・・

「男と男の連携」

「そこにある何か」

「1000回電話し、褒められ、けなされ」

「握手で伝わる何か」

・・・・・・・・・・・・・・

「白と黒の間にあるグレーの領域」

「そこに生きるのが我々だ」

市長と判事と政治家とマフィア

若いころ純粋な友情で結ばれた男たちが、時を経て、

それぞれの責任ある立場となったのでしょう。

もちろん公私を混同すべきではありませんが、

人間そうはっきり分けられるものでもない、というのも一理あります。

いや、分けてしまえる人間よりも、

分けられない人間のほうが温かく見えることもあります。

政治家だからこそ、漠然とした公平よりも、一人一人との仁義を重んじると言えば、

むしろ正しい在り方にも思えます。

しかし、それは一歩間違えれば癒着になる。

気持ちは分からなくもないけど・・・

最後はグレーを肯定するのではなく、癒着は、不正。

間違っており、公人は公平でなければならない、と締めくくっています。

最後、ケヴィンが静かに引導を渡すシーンは心に響きました。

「残念です」                                                                     

「どうか引退を」

「引き際です」

田舎の政治好き青年だったケヴィン。

ジョンの演説に聞き惚れて感動しその事を伝えに行ったら

食事に招かれ、意気投合した。

その縁から、補佐官となり3年。

ジョンを心底尊敬し、補佐して守ろうと奔走した結果、不正を暴く事になってしまった。

そんな断腸の思いが心に響く名シーンでした。

 

もうひとつ言いたいのは、この作品

サスペンス要素が高いわりには、大きな波風をたてず、

静かに描いているところが一味違うんです。

平坦で眠くなると感じる人もいるでしょう。

賛否の分かれるところでもあると思います。

マフィアのボス、ポールザパティと政治家アンセルモの終盤のやり取りは特に印象的でした。

最後の引導を渡すシーンも

普通なら、ワーワーとまくし立てて問い詰めてもいい場面ですが

これ以上ない短い言葉で、静かに話したからこそ余計に

心に響いたのでしょう。

風の王国 五木寛之

小説

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みなさんも「人生観を変えたこの一冊」というのがあると思いますが

僕にとってはこの作品がそれです。

最初に読んだのは約20年ぐらい前です。

定期的に読み返したくなり、今回で5回目ぐらいでしょうか

表紙はぼろぼろです。

 

フリーのライター速水卓が、仕事の取材で京都の二上山に行くところから始まります。

まずこの速水がおもしろい人物なんです。

若いころ世界放浪の旅をし「歩くこと」におぼえがあり、電車のむかいに座る人の足を見て「こやつ、歩けるな」と思ったりするんです。

 

彼の職場の流星書館の雑誌「季刊TEKU TEKU」の編集長、島村杏子との交流シーンは素敵でした。

島村杏子も北海道から九州までの徒歩旅行を2度達成している歩きのつわもの。

四駆やバイクによる自然破壊を批判し、

「人間は自然を傷つけた量だけ自らも傷つく」という持論をもち

「人は自然の中で優しくあるだけでなく、街においても、人々の中においてもローインパクトに心しなければならない」との考えの持ち主。

二人は「歩くこと」を一つの生き方の問題として追求してるんです。

 

余談ですが。

初読当時、僕の興味は車やバイクにあり、歩く事など何の興味もなかったのですが、この書を読んだのを機に、ウォーキングやハイキングに興味を持ち始めるようになりました。

 

そんな速水は二上山の山頂で風のように駆け抜ける謎の女に遭遇。

その女はお遍路のような格好をし、しかしお遍路とはどこか違う黒い衣装の背中に神の文字が染め抜かた法被を纏い、霧の中をまるで翔ぶように速水の前を駆け抜けていきます。歩くことには自信を持っている速水が必死になって追いかけても追いつけないんです。

すっかりそのことに打ちのめされ、虜われ、彼女との再会を熱望するようになるんですが。

それは意外にあっさり叶うのです。

流星書館の親会社である射狩野総業の創立記念パーティーに出席した速水は、祝辞のために壇上に立つ「翔ぶ女」を見ます。

「翔ぶ女」は「天武仁神講」「同行五十五人」という字の染めてある法被をはおり

「天武仁神講の講主代行」として挨拶を始めるのですが、それは射狩野総業が近年、事業拡大し、自然破壊をし、開発を押し進める事に対しての痛烈な批判でした。

女の名は葛城哀。天武仁神講の2代目講主、葛城天浪の娘。

射狩野総業オーナーの射狩野瞑道も天武仁神講に席を置き、かつては天浪と2代目講主の座を争った人。「へんろう会」という分家のような団体の会長でもあり、「へんろう会」は政財界から裏社会までに会員を広げ、財力を蓄え「講」にも財政面で貢献してきた。だが、その行為が度を超え、自然破壊をつづけるのは初代講主葛城遍浪の教えに背くことであり、本末転倒だという批判でした。

 一方。その会場で、速水の兄、速水真一の彼女である歌手の麻木サエラが余興で歌を披露する事になっていたのですが、「歌いたくない」とぐずっていると、マネージャーの瀬田から応援要請があり、速水はサエラの控室に呼ばれます。

サエラはもともと自由に3曲歌うはずだったのが、列席した政治家とデュエットしてほしいという依頼が急遽入り、それを拒んでいるのです。

その話は渾流組の竜崎というヤクザが絡んでいて、控室に竜崎もやってきます。

絶対に歌いたくないと拒むサエラに竜崎は過去の事情を餌に脅し、さらには真一のもとに手下を送り、歌わなければ彼がどうなるか分からないと脅します。そんな竜崎に速水はタフガイさながら襲いかかり、急にハードボイルドアクション的な展開に。銃を抜いた竜崎の前に突然、葛城哀が立ちはだかり。哀は竜崎と竜崎の手下を真一のもとから引かせ、その場を収めるのです。

その後、哀は速水に東京から伊豆まで一緒に歩かないかと誘ってきます。哀は速水の名前も職業も知っていて、二上山ですれ違ったことも気づいていました。速水はなぜ哀が自分の事をそんなにも知っているのか、よく分かりません。何やらキナ臭い気配は感じつつも、あの「二上山の翔ぶ女」である哀と歩けることに舞い上がり二つ返事でOKします。

そこから哀と速水の伊豆への歩行シーンになるのですが、この歩いているだけのシーンがまたイイんです。

そのシーンのハイライト本文から抜粋します

 

 

「では、私が先に歩かせていただきます。同行でノルときには、二人が一人の心になって歩くわけですから、そのおつもりで」

「手加減しなくてもいいですよ。かなわない時には、遠慮なくギブアップしますから」

「これは行なんです。勝負ではありません」

「共にノルことで、一人の人間の力の二倍も三倍もの高い境地へ達することが出来なければ、同行の意味はないんです。私が速水さんをためすとすれば、それは人と共に助け合って歩く、自然と一体になって歩む、その心の広さや優しさを、あなたが待てるかどうか、それを知りたいだけです。速水さんが只のつよい体力と意思の持ち主に過ぎないとわかったら、わたしは同行をその時点でご辞退します。そして、あなたはわたしたちとハナれて、二度とお目にかかることは、ないでしょう」

中略

 

先行する葛城哀に、休ませてくれと一言いえば、彼女はもちろん足をとめてくれただろう。だが、それだけはどんなことがあってもしたくはなかった。ルト砂漠を歩き、シラーズの砂礫の荒野を歩き、ラリーカーが150キロですっ飛んで来るサファリラリーの道を歩き、ガンジスの源流を歩いた自分が、どうしてこんな遊園地のような島国の海岸でギブアップできるだろうか。

 だが、今度はこれまでのトレイルとはまるでスピードが違っていた。夜明け前に一度、公園の端で休んだだけで、あとはずっと歩き通しなのだ。しかも、彼女の歩速はおそらく分速160メートルを超えている。旧陸軍の約二倍の歩速だ。彼女の下半身は踊っているように奇妙な動きを続けていた。だが首から上は能役者のように静かに風の中をすべってゆく。速水卓は、すでに歩くのをやめて走っていた。心臓の鼓動も限界にちかく震えていた。

 だが、彼女は決して速水卓を無視して歩いてはいなかった。葛城哀の背中からは絶えず彼にはげましの無言の声が送られていた。

 がんばるのよ。さあ、いっしょにいきましょう、どこまでも。二人で手をとりあって

速水卓には、その声がはっきりと聞こえた。

 

 

この後、伊豆の「天武仁神講」の隠れ家に到着し。「天武仁神講」とは一体どんな組織なのか、講と速水の接点とは、「へんろう会」とは、のさまざまな疑問が明かされていきます。

この説明が中盤、かなり長く若干中だるみ感もありますが、5回読んでも、今だよく分からない点でもあり、奥深い点でもあります。今まで(4回読んだ時点)では感じなかった疑問が新たに芽生えたりして。五木さんが実は一番描きたい所でもあるような気がします。僕なりの解釈で簡単に説明すると。

明治維新後、住民登録制度ができた。が、それを拒み、無籍漂流の浪人たちがいた。ジプシーのような定住を好まない移動民族。彼らは「サンカ」や「ケンシ」と俗称されいわば山賊のような「野蛮で奇異な非国民」と、うとまれ迫害されてきた。彼らの理念は「相互扶助」。定住せず移動して暮らし、困っている人あらば助け合う。農耕定住民が肉や骨なら、彼らはいわば社会の血液になろうとした。ハンセン病患者などにも積極的にかかわっていたので余計に奇異な目で見られていた。ある時「ケンシ狩り」と呼ばれる、役人による「ケンシ」たちの大量虐殺事件があり、その事件を逃れた葛城遍浪と八家族55人が京都から伊豆に逃げ、結束を誓い合った。その秘密結社のような会が「天武仁神講」。そしてその経済基盤を支えるために組織されたのが「へんろう会」。

 

なにゆえ彼らは無籍にこだわったのか・・・分からない。戸籍を作ったって、別にそこで一生暮らさなきゃいけないわけじゃないし。今だって、マイホーム派か賃貸派か、みたいに一ヵ所に留まりたがらない人もいるだろうけど、戸籍は別に関係ないし・・。「ケンシ」たちも戸籍を作っておけば、そこまで迫害されることもなかったろうに・・・疑問が残る。

 

中盤を過ぎ後半は、射狩野瞑道との対立が血生臭い様相を呈してきて、エンターテーメントとしても盛り上がってきます。

そんな状況での、この作品で最もきらめく僕の「人生観を変えた一文」を本文から紹介して〆させていただきます。

 

「世界の多くの人々の思想は、勝つか、負けるか。だが、わたしはそのどちらも好かん」

速水卓は遠慮がちに天浪にたずねた。

「でも、もし、勝つか、負けるかの、二つのどちらかの道しかないような時には・・」

「道は必ずあるものだ」

天浪は微笑して速水卓を見つめた

「人に知られぬ意外な道が現在この国にも数多くあることを、あんたは今度の大疾歩で知っただろうが」

「はい」

速水卓はうなずいた。その通りだった。隠された道は、必ずある。それは見えないだけなのだ。しかし、それでもなお、二者択一を迫られる状況というのも、またあるのではないだろうか。速水卓のそんな心の中を感じたように、講主は言葉をつづけた。

「もし、どちらかを選ばなければならない時がきたなら・・」

天浪は言葉を切って葛城哀を眺めた。

「どうするかな、哀」

哀は眉ひとつ動かさず、しずかな口調で言った。

「負けます」

 

 

この葛城哀の「負けます」

しびれました。

 

葛城哀語録

「わたしたちは一所不在のケンシなんだわ。取ることでなく、捨てる事を知っているすばらしい一族よ。土地を捨てる。家を捨てる。安住を捨てる。いつもそうして体一つで流れて生きてきた。私たちは風よ。風は軽くなくっちゃいけないわ・・」

ベートーベンウイルス

韓国ドラマ

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今まで見た韓国ドラマ2位タイの作品です。

主軸は師匠と弟子ものです。

昔からよくあるパターンの話ですが僕はこの手の話大好きです

特に、落ち目の師匠が才能あふれる弟子に追い抜かれるときの哀愁がたまりません

映画ではアルパチーノとジョンキューザックが師弟を演じた「訣別の街」

日本のドラマでは田村正和木村拓哉が建築家の師弟を演じた「協奏曲」

などが思い出されます。どれも大好きな作品です。

 

!導入部だけ少々ネタばれあり!

 

本作品は指揮者の師弟ものです

世界的指揮者のカンマエは自己中で横暴な振る舞いが災いし業界を干され

素人寄せ集めポンコツオーケストラの指揮者になります

素人寄せ集めポンコツオーケストラでもカンマエは自分の音楽に対する信念を妥協せず

団員たちに辛辣な罵声を浴びせ、総スカンをくらいます。

もともと警官だったグンちゃん扮するカンゴヌは路上でトランペットを吹いていただけの素人。数合わせで仕方なく入団。しかし絶対音感の持ち主である事が発覚。指揮者としてカンマエに師事する事となるのですが、団員たちは次第に横暴なカンマエよりも温厚なのカンゴヌに信頼を寄せるようになり・・・・・

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グンちゃんファンの方には申し訳ありませんが僕はこのドラマでは断然カンマエ派です。

どんなに周囲から背を向けられ、孤立しようとも自分の信念を貫く姿に心震えます

僕も頑固で変わり者、空気読めない奴と言われがちなタイプです。

それでも中途半端に妥協し、信念はブレにブレて生きてきたところがあります

人は人と共生していくうえで時に自分の信念を押し殺さねばならない時があるものです

自分の信念ばかり主張せず周りの空気を読んで合わせるのが社会で生きる術というものです。

 本当にカンマエがあの性格と信念の持ち主だったらそもそも世界的指揮者になどなれただろうか・・疑問です。そういう意味でこの話は全くのファンタジーかも知れません。

 実社会ではあんな人(カンマエ)は何者にもなれない。

それでもどんなに背を向けられても、嫌われても、貫く信念がある人って素敵だと思っちゃうんです。

愛なんていらねえよ、夏

国内ドラマ

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渡部篤郎広末涼子藤原竜也

脚本/龍居由佳里 

2002年

 

どんな巨匠でも、名俳優でも、その最全盛期というのは短いものです。

本当に脂ののりきった全盛期の代表作は1作品かせいぜい2作品あるかないか、

ではないでしょうか。

このドラマは主演の渡部篤郎、脚本家、龍居由佳里の最も全盛期の

代表作だと、僕は思います。

二人の最全盛期が重なった、それはもう、神がかり的な作品です。

僕の好きな国内ドラマランキング2位。

1位の「北の国から」と共に国内ドラマの双壁として後世に語り継ぎたい名作です。

 

───歌舞伎町のホスト白鳥レイジ(渡部)は7億の借金を背負う。そんな中、死んだ弟分、鷹園礼慈の妹、鷹園亜子(広末)が大企業の社長の娘で巨額の遺産を相続したと知る。礼慈と亜子は幼い頃(15年前)両親の離婚により離れ離れになったきり一度も会っていなかったという話を思い出し、レイジは鷹園礼慈になりすまし(亜子の兄になりすまし)亜子の受け取った遺産を奪おうと画策。鎌倉にある鷹園家に弟分の奈留(藤原)を引き連れ乗り込む。15年会っていないとはいえ礼慈とレイジは似ても似つかないし、年齢もレイジのほうがだいぶ上。にもかかわらず、ろくな計画も無いレイジに奈留は心配するが、亜子は盲目であった事も功を奏し、意外にあっさりと兄と信じ込ませることに成功。始めのうちは固く心を閉ざしていた亜子だが、しだいにレイジに心を許し始める。計画は順調に進んでいたかに見えたが、レイジの心の奥に深く眠っていた、ある感情がよみがえり始め、少しづつ歯車が狂いだすのだった───

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このドラマ、なにがイイかって、一言で表すなら感情表現がすごいんです。

嘘をつくのが仕事のようなホストと、心を閉ざした盲目の少女という難しい役どころの主人公にもかかわらず、その心情の揺れが手に取るように伝わってくるんです。

ナレーションで説明する事も無く、狂言回し的な脇役に解説させるわけでも無く、ダイレクトにセリフ(言葉)で伝える事でも無く、役者の表情や、声質、脚本の構成、演出、などを駆使して巧みに伝えてくるんです。

特に、盲目の亜子は相手の表情が見えないため、声質に敏感で、ちょっとした声のトーンでその人の言葉の正誤を計るという造形は面白く、出演者全員が声質というものに神経をそそいで演技しているように感じました。その事で、嘘と実を入り交えた複雑なキャラクターが多いにもかかわらず、主演の二人はもちろん、脇役陣もすべて、微妙な感情の揺れが、見事に心に迫って伝わってくるんです。ほとんどの登場人物が、生きた人間として、感情豊かに作中を闊歩しているんです。

こういうドラマ、意外と無いですよ。

泣いて、わめいて「愛してる」だ「好きだ」と叫んでも、さっぱり感情が心に迫ってこないドラマはたくさんありますけど・・・。

 

 

亜子「やっぱり私たち、住んでる世界が違うんですね」

レイジ「───まあ、いいじゃない。こうして出会えたんだから」

 

 

最終回。

頭の手術を控えた亜子をレイジが強引に連れ出して行った、海辺のホテルにて。

幸せゲームと称しホストと常連客のフリして、ホストクラブごっこを始めるシーン。

嘘の芝居をしているシーンなのに、

なぜかレイジの本音が一番伝わった名場面でした。

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ラストエグザイル

アニメ

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───物語の舞台は砂時計型の人工惑星プレステール。世界は「アナトレー」と「デュシス」の大国とそれを管理する「ギルド」の三つの勢力に分かれていた。

主人公はアナトレーに暮らす、少年クラウスとその幼馴染の少女ラビィ。

二人は「ヴァンシップ」なる小型飛空艇のパイロットとナビ兼メカニックとして「空の運び屋」を営みながら、同じくヴァンシップ乗りだった二人の父親たちを飲み込んだ大嵐「グランドストリーム」を越える事を夢見ている───

 

 「クラウディア機関」なる架空の飛行テクノロジーが発達している中世風の世界観に

ラピュタ」と「スチームボーイ」と「キャプテンハーロック」合わせたような雰囲気。

主人公は男女の同じ飛空艇に乗る相棒で程良くロマンスもありそうで、モロ好きな感じ。

と、期待を胸に

もうずいぶん前にみていたのですが、

1話で挫折してたんです。

というのも1話中盤あたりでしたか、

「アナトレー」と「デュシス」の飛行船艦隊の戦闘シーン。

お互いの戦艦が同高度に並んでいて

パパパーンとラッパの合図かなんかで横の壁がガーと開くと

銃を持った兵隊がずらーっと並んでいて・・・

兵隊同士が無防備のまま撃ち合ってバタバタ死んでいく・・・

なんだこのバカバカしい戦い方・・・

そういうのが常識としてまかり通っている世界観なのかもしれないけど

知能のある人間のやる事として理解しがたい・・・・と

そのシーンからすっかり気持ちが入り込めず挫折していたんです。

今回はそこ、我慢して目をつぶって、気にせず先に進もうと決めて、

見はじめたら3話あたりからはもうすっかり引き込まれてしまいました。

この作品、非合理的な事が一つのテーマみたいなところがあるんです。

そこでいちいち引っかかってると、とても先に進めないんです。

例えばヴァンシップのデザインひとつとっても前が広がってて後ろがちぢまっているのも

飛行機の空力としては非合理的だし、必ず二人乗りでアクセルとハンドルを別々に分けているようなのも非合理的です。

とにかく細かい事気にせずなんとなく見る事をお勧めします。

そうすると急に世界観が輝きだしますよ。

 

───クラウスとラビィは別の運び屋からアルヴィスという少女を悪名高い海賊船のような戦艦の艦長アレックスロウに引き渡すという危険度星7つの仕事を引き継ぐ───

 

結局、「シルバーナ」というその戦艦の乗組員となりプレステールを揺るがす戦いの渦中に巻き込まれていくという話です。

この「シルバーナ」の乗組員たちがイカシタ大人たちで、ハーロックのような無口で渋い艦長のアレックス、美人副長のソフィア、ヴァンシップ隊の隊長のタチアナ。

その他整備士のオヤジらと人間ドラマが展開することとなり、そこがイイです。

ただ戦闘と、バトルを繰り返すだけの話になっていないんです。

また、アルヴィスを追いかけていたギルドの星型戦闘機乗りの指揮官ディーオがいいです。

はじめは敵としてクラウスたちの前に立ちはだかったけど、クラウスの飛行技術(インメルマンターン)に興味を持ち「インメルマン」とあだなをつけて無邪気にまとわりつくようになり、いつの間にかシルヴァーナに乗り込み、仲間になっている・・・。

このディーオの行動もかなり突飛で意味不明なところがありますが、とにかくあまり深く考えず見進めめてもらいたいです。

後半では深い感動を与えてくれるキーマンとなりますから。

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ディーオ

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艦長アレックス

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副長ソフィア

とにかく、この作品ちょっと意味不明な、非合理的な事がちょいちょいあるのですけど、気にせずみてほしいです。

中盤以降、シルバーナとウルバヌスとの戦闘やクラウスたちヴァンシップ乗りたちの戦闘シーンは圧巻です。人間ドラマもシルヴァーナ乗組員の大人たちが要所を締めてくれます。

終わり方も賛否いろいろあるようですが

僕はこれはこれで満足ですね。うまくまとめたと思いますよ。

欲を言えば、2期が全く関係のない話になってるのが残念です。

クラウスとラビィのその後の話がまだまだ見たいな・・・。

そう思わせてくれる作品でした。

26話があっという間でみじかく感じました。

 

余談ですが

最近、日本の連続TVアニメ界、TVドラマ界もそうですが、

どうも「使い捨て」感が漂うと感じます。

何年も構想を練ってじっくり作りこんでいるという感じがしないですね。

スマホ普及により、人々は以前のようにTVにかじりつく事がなくなり

一生懸命お金と時間をかけても視聴率が取れない

だからそんなに力をいれてもしょうがない

という感じがありありと感じられる気がします。

瞬間的な「ギャグ」と「萌え」に力を入れ、内容に深みが無くワンパターン

アニメなら「学園超能力ギャグ萌え」ものばかりが目につきます。

ここ最近のアニメの作画の美しさは目を見張るものがありますが・・・。

 

その点この作品は作画こそ最近のアニメからは見劣りする部分もありますが

壮大な世界観を、圧倒的な戦闘シーンと躍動感と共に人間ドラマを奥行き深く描いている大人のアニメとして、最近では絶滅しつつある希少な作品だと思います。

 

ローグ・ワン スターウォーズストーリー

映画

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ここ数年すっかり恒例となった我が家の元旦映画観賞、4DXで観ました。

僕はスターウォーズの熱狂的な信者というわけではありませんが、上映されたすべてのシリーズは一応観てきました。

スペースオペラと言うのでしょうか、惑星間を自由に移動し、さまざまな種類の異星人、動物、ロボット、乗り物が画面いっぱいに躍動、闊歩する世界観がすばらしいです。

ジョージルーカスのルーカスたる由縁でもありますよね。

1977年。はじめに上映された「スターウォーズ」(シリーズの時系列ではエピソード4)は、これぞ映画だ、というエンターテーメーント性はずば抜けていました。世間的な人気も爆発的なものがありました。少年の僕もワクワクと胸躍らせ、親に映画館に連れて行ってもらい、おもちゃの、かなり立派なライトセイバーを買ってもらったものでした。それから「帝国の逆襲」「ジェダイの復讐」とすこし大きくなって、(中・高校性だったかな)観ましたが、思春期で見方がしゃくれてきたのか、エンターテーメーント映画として、それなりに楽しめましたが、ストーリー内容的にはそれほど評価できなかったのを覚えています。特にダースーベーダーがルークのお父さんだと、レイア姫が姉だと分かった時は、古臭い韓国ドラマのようなオチだとガッカリしたものでした。2000年代前半に上映された、エピソード1,2,3は妻と結婚前のデートで観まして、ディズニーランドのアトラクションのような感覚的な楽しさはありましたけど、内容についてはほとんど覚えていません。やはり伏線説明的な感が強く内容的にはあまり好きじゃなかったのだと思います。

他にもSF映画は好きでいろいろ見てきました。

「エイリアン」「アポロ13」「2001年宇宙の旅」などに代表されるような宇宙船内でのクライシス物、後は地球上での未来の話、火星探査の話などは多くありましたが、惑星間をまたにかけた壮大なスペースオペラ的話となると、「スターウォーズ」か「スタートレック」ぐらいしか思いつきません。

スターウォーズ」と「スタートレック」で比較するなら、映像的な美しさ、ディテール面の細かさ、ではスターウォーズの圧勝。人間ドラマの深さではスタートレックに軍配。

それは、それぞれの映画とTVドラマという互いの土壌を象徴していると思います。

 

 

最初の「スターウォーズ」上映から40年。

今だ類似作がほとんどないという、SF映画業界を寂しく思う反面、それだけ、近年、

僕の中で「スターウォーズシリーズ」が特別な存在となって輝きを増してきています。

昨年、元旦に見た「スターウォーズ フォースの覚醒」は久々映像やディテールだけでなく内容も面白くスターウォーズシリーズ中で2番目に面白く感じました。

1位はやはり、一番最初の「スターウォーズ」(エピソード4)です。

───ローグワンについてですが。

最初のスターウォーズ(エピソード4)の直前の話です。エピソード4は帝国のデススターの弱点を攻撃して終わりますが、デススターの弱点の設計図を手に入れるために尽力した戦士たちの話です。

率直な印象は「七人の侍型」。

脚本家になる勉強を多少した事のある人なら、その入門で教わる、教科書のような王道的ストーリー形体です。素直に見れば面白いのですが、僕はあまりに定型的なのがちょっと引っかかって古さを感じてしまいました。(あくまでストーリー構成がという意味です)また、エピソード4の伏線説明的な内容が強く、熱狂的なスターウォーズファンには、「なるほど、あれはそういうことか」と合点がいき楽しめるのでしょう。しかし、僕はむしろエピソード4についてはあれで完成していて、説明はいらないと、前々から思っていましたので・・・・。

映像の美しさやディテールの細かさはさすがで、やはり4DXや3Dで理屈なく感覚的に楽しむ作品だとおもいます。

ただ、ルーカス色が若干弱くなってるように感じたのは私だけでしょうか。

 

 

ジン役のフェリシティー・ジョーンズかわいくて、たくましくて、魅力的でした。

これから注目の女優さんリストに入れます。

チアルート役ドニー・イェン。よかったです。

けっこう有名な役者さんなんですね。知りませんでした。

K-2SO、巨神兵みたいで泣けました。

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