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takeの感想文マガジン

映画・ドラマ・アニメ・読書・の感想・レビューを綴るブログです

北の国から89帰郷

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この回、以前見た時はけっこう重く

(工場での傷害事件のイメージが強く残っていたので)

辛い回だったような気がしてたのですが

今回、一連のシリーズ最初から順に見返してきてみると

けっこう軽くて笑える回です。

 

冒頭から蛍の恋の話。相手は緒方直人。

前々から思ってましたけど、倉本聡氏はどうも恋愛ドラマは得意じゃないようで、

高校生の恋にしては妙にジトジト湿っぽく、

それでも、ギャグと軽妙な掛け合いばかりに力を注ぐ恋愛ドラマよりはいいと思ってたのですが、今見ると、こちらはこちらで不自然に湿っぽく、もはやコントを見てるようで笑ってしまいます。

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終盤の純とレイちゃんが札幌で再会するシーンにしても、あれもう高校生の男女じゃないですよ。どう見ても中年の不倫カップルのようなジットリ感。

僕もあの時代(80年代後半)青春時代を過ごし、それなりに出会いと別れを繰り返しましたが、もう少しサラッとしてましたよ。特にあの時代はバブリーな時代で世の中カラッと爽やかな空気がありましたし。

というわけで、今回の「89帰郷」恋愛部門は僕にはお笑いシーンにしか見えずこれ以上は語りません。

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やはり、この回は傷害事件のシーンが核心です。

ネット上での他の人のレビューも幾つか読ませていただきましたが、

解釈がそれぞれあって面白かったですし。

 

あらすじ簡単に説明しますと

 

 ───東京で定時制高校に通いながら、昼間は自動車整備工場で働いている純。

 前回、「初恋」のラストで古尾谷雅人扮するトラックの運ちゃんから「一生ととっておけ」と言われた泥のついた1万円札2枚。もらった日付を書き込んで定期入れの中にお守りのようにしまっておいたやつ。がない。前日、バイクの窃盗容疑で警察にしょっぴかれた純。

そのことで職場の仲間にも警察の事情聴取が入り、特に上司の水谷はかなり苛立っていた様子。冷静さを失った純は水谷の仕業と思い、暴れる狂うように水谷のロッカーを激しく漁る。そこへ親友のアカマが来て暴れる純の背中にしがみついて、盗ったのは俺だと白状する。

アカマは、病気の親に仕送りするため、半年前、水谷からお金を借りていた。それが半年で倍の利息を付けられ、返済を迫られていたのだ。アカマはかねてより純の定期入れの2万円の存在を知っていて、切羽詰まりそれを拝借して水谷に渡していた。純は、あの札はお守りのような大切な札だから他の札「3万円と交換してください」と水谷にすがりつくが、水谷はもともと純に苛立っていたうえに、犯人に疑われ完全に頭に血がのぼっていて、取り付く島も無く、「誰がお前なんかに渡すか!」と殴り倒される。倒れた純。近くに、鉄のバールが落ちていたのを見て、それを手に立ち上がり、背後から水谷に襲いかかった。

結局、水谷のケガはたいしたことなく放免された純だが、家(雪子おばさんの)に帰ると、おじさん(村井国夫)に「髪も金髪にして、バイクを乗り回し、いつから不良になったんだ」なじられる。純は「理由は聞いてくれないんですか?」とふてくされ、「人を傷つけた事は悪かったけど、他は何も悪い事はしていない、僕は不良じゃない」と家を飛び出し、雨の中電柱をバシバシ殴る───

 

という話です。

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他の人のレビューでこのシーンの解釈、面白かったのは

(この人も僕と同世代ぐらいで、純君(吉岡氏)とも同世代ぐらいな様子)

イムリーに放送された時には純の気持ちがよくわかり、村井国夫が嫌な大人に見えた。

が、今、自分が中高生の息子を持つ親の歳になって見返してみると、純の気持ちが全く分からない。というものでした。髪を金髪に染め、バイクを乗り回し、傷害事件で警察の厄介になれば立派な不良で村井国夫の言っている事はごく当たり前のこと。それにふてくされて「僕は不良じゃない」とは何事だ、意味わからん、という意見でした。

 

僕はこの人と真逆なんです。

昔、タイムリーに見た時は純の気持ちがピンとこなかったのですが、今回見返してみたら、純の言ってる事がごく当り前に思え、村井国夫の言ってる事がピンとこないんです。

 

まず、純が水谷を鉄のバールで殴った事。

一歩間違えば相手が死んでいてもおかしくない事です。

今回はたまたま運よく事なきを得ましたが、殺人未遂行為ですし、傷害行為です。

いかなる理由があろうとも、決してやってはならない事です。

と、その僕の考えは昔も今も同じです。

村井国夫もその事は純に言っているので、昔見た時は村井国夫が当然の事を言っていて、

なのにふてくされてる純の気持ちが分からないと思ったのです。

しかし、村井国夫はその事はさらりと流し、その後、金髪にした事、バイクに乗りまわすこと、をとりあげて不良だと言い出したわけですが、ここが余計だったんです。

金髪にすることとバイクに乗る事は別になんら悪いことじゃない。

傷害事件ともなんら関係ない事です。

純はそのことにふてくされ「僕は不良じゃない」と飛び出したわけです。

「人を傷つけたこと、いかなる理由があろうとバールで殴った事が間違った事だ」と焦点を絞って言えば純も、もう少し素直に聞いていたと思うのですが。

この回、純が金髪に染めたのを見て、雪子おばさんが怪訝な顔で「お父さんに見せられないでしょ」とか、純自身も、これで正月は富良野に帰れないとか、窃盗容疑で警察に聴取された時も金髪だからお前がやったんだろう的な事を言われたり、金髪=不良が布石として随所にちりばめられているんです。昔見た時はそんなに気にならなかったんですよ。確かにあの時代は金髪=不良みたいなところはありましたから。しかし、今見るとものすごい違和感があるんです。今の感覚では金髪だから何だというものですよ。今は別に金髪の若者がいたって、その人を不良だなんてだれも思わないですよ。純もこころの声で、「髪の色はあくまでセンスの問題であって、不良じゃない」と言っていて、まったくその通りだと思いましたよ。しかし当時としてはそういう感覚はむしろ異端で進んだ考えだったんですね。

倉本聡氏がこの回で言いたいテーマは、

「人に外見や瞬間的な言動でレッテルを貼るのはいかがなものか」

ということではないかと思いました。

洞口依子扮するエリちゃんの存在も

昔はいまいちよくわからなかったのですが、

今回はなるほどそういう事かと合点がいきました。

エリちゃんは、いわゆるヤリマンとかオサセとか言われるたぐいの女の子。僕の学生時代にもそういう噂のある女の子は何人かいて、「あいつと関わらないほうがいい」みたいなフレが回ってきました。僕はそういう話、うのみにはしてなかったと思いますが、特にそういう女の子と関わる機会もなかったので実際がどうだったかは知りません。エリちゃんの場合は実際にそうで、ボートで(純が)襲われるのですが、川だか池だかに突き落として、純は例によって姑息に逃げるんです。なのにエリちゃんは、どうやらチンピラ風情の兄貴にその事を言いつけもせず、のちに例の泥のついたピン札、一緒に捜しまわってくれるんです。

 エリちゃん、こんなイイ女だったんだ

と、今回はじめて気づきましたよ。

ヤリマンとかオサセにしたって、金髪と同じようなもので、今思えばだから何というもの。

女の子がやりたがる事だって別に普通の事ですし。

 

純もエリちゃんもあの時代にいれば不良のレッテルを貼られる人物。

確かに、外見や言動のセンスは少しずれている(悪い)。

しかし、その中身は純朴さの中に一本筋の通った気概を持っている。

なかなか魅力のある人物です。

特にエリちゃんがイイ女に見えたのは今回の収穫。

今までは、やっぱりどこか不潔っぽいイタイ女に見えていたとおもいます。

 

ただ、単純なレッテルで人を見てしまうのはつまらないですね。

 

それはそれとして

それでもやっぱり

 

僕は「人は見かけによらない」とは実は思っていません。

むしろ「人は見かけによる」と思います。

髪の毛の色ひとつ、髪型、服装、顔つき、目つき、服装、着こなし

すべてがその人の人物をあらわしている。

と思っています。

外見で他人にどう思われても、それは自分の責任。

それを意識して、髪型なり服装なりをチョイスするのが大人というもの。

純もあの時代に金髪にするという事は

不良というレッテルを貼られることはある程度予想できる事で、それが嫌なら金髪にしなければいいし、それでもしたいならそれなりの覚悟と責任もってやればいい。

あと、バールで人を殴るというのは明らかにいけない事。

そこはもう少しちゃんと言ってもいい気がしました。

倉本聡氏が、暴力的な事について、むしろ寛容な目線を持っているのは、のちの岸谷五郎の登場回や今回の、純が富良野に帰郷し、風呂に薪をくべながら五郎に傷害事件の事を打ち明けるシーンでも伺える事で、そこはちょっと僕と感覚が違うんです。

村井国夫が聞いてくれなかった傷害の理由を五郎は聞いてくれて

「男は戦わなきゃならん時がある」

とカッコいい事を言ってくれるんです。

昔はこのシーン感動した覚えがあるんですが、

今回は「ん?」とひっかかりました。

戦わなきゃならん時があるのはわかるど、

戦い方、間違ってませんか?

 

とそんな事考えさせられた今回の「89帰郷」でした。

 

 

北の国から87初恋

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純と蛍、おおきくなってきました。中学生です。

レイちゃん(横山めぐみ)との恋の話。

トラックの運ちゃん(古尾谷雅人)のあの名シーン

「泥のついたピン札」の話です。

この回は北の国からシリーズでもっともよく見ている回のような気がします。

世間的な人気も高いのでしょう

再放送の回数も多いのではないでしょうか。

トーリーもだいぶしっかり覚えていて、今回はあまり新鮮味がなかったです。

ただ、北の国からという作品、というかどんな作品でも

何回も見返すと、そのたびに見え方が変わるものです

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今回、僕にはこの話、初恋の話というよりは

思春期で親とのつながり、コミニケーションが薄れていく寂しさが胸に響きました。

子供にしてみれば巣立ちの時期で、自立し始める成長の時代なんですが

親からすると、子供が自分の手から離れていく寂しい時期でもあるんですね。

そんな親側(五郎さん)の気持ちが胸に迫ってきたんです。

僕は子供はいませんが、

子供のいる同級生たちはちょうど中学生ぐらいの子供がいる歳頃を迎え、

そんな子供らとの関係の悩みをちらほら聞く事もあってでしょうか。

思い起こせば、自分も中学生の頃、最も反抗期を迎えていたものです。

中1のころはまだ半ズボンに5厘刈り頭で鼻たらして遊んでいたのが、

中2~3年生になる1,2年で急に髪の毛は長髪に伸ばし始め、

櫛なんか携帯して、ズボンは長ズボン、

部屋には鍵をかけ、親が入ってきただけで、

「勝手にはいってくんじゃねえ!」と怒鳴る始末です。

黒板家も思春期を迎えた純と五郎の、すれちがいが

冒頭からしっかりと描かれているわけです。

今回、一番心に残ったシーンは

レイちゃんと小屋で雨宿りしたシーンでも、

泥のついたピン札のシーンでもなく、

草太兄ちゃんの言葉でした。

───冒頭から純とのコミニケーションが薄れている事を気にしていた五郎。

純は、中学卒業後の進路を、東京に出て定時制高校に通いたいと考えていたが、

五郎には話せずにいた。家が貧乏だったし、それでも五郎に話せば無理してでもお金を工面してくれる事は分かっていたから・・・。草太兄ちゃんや雪子おばさんに相談して、こっそり出ていこうとしていた。それは五郎に負担をかけないように、純なりに気遣ってのことだった。その話を中ちゃんから聞いた五郎は(周りがみんな知ってるのに自分だけ知らなかったと)ショックを受け家に帰る。と、その日は五郎の誕生日で、電気がパッと明るく光り、純と蛍、草太兄ちゃんとその彼女アイコ(美保純)が集まり五郎の誕生日を祝う。純はかねてからこっそり風力発電の装置を作り、誕生日に五郎を驚かせようとしていた。

が、五郎は驚きも喜びもせず、進路の話をなぜ黙っていたのかと問い詰める。

そんな五郎に「父さん情けないよ!」と家を飛び出す純───

 

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この場面、第三者の目で冷静に見ると、確かに五郎が大人げない。

自分だけ相談されなかったのは寂しいけど、それも自分の甲斐性の無さのせいでもあるわけだし、草太やアイコが集まって誕生日を祝ってくれてるわけですから、その話は後にして、とりあえずその場は盛りあがるフリでもするのが大人というもの。

それを直情的に取り乱して、詰め寄るなんてのは「情けない」と言われても仕方ないと

純寄りに味方して見ていたところ

 

そんな純を追いかけた草太兄ちゃんの言葉です

 

「男は見栄で生きてるもんだ」

 

「男は誰だって、いたわられれば傷つく」

 

「それが本当の男ってもんだ」

 

ふだんはおしゃべりで、軽薄でウザい草太兄ちゃん。

要所要所でいい事言うんですよね。

 

僕は草太兄ちゃん大好きです。

もし自分に子供がいて男だったら間違いなく草太にしてたと思いますよ。

 

北の国から84夏

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「子供がまだ食ってる途中でしょうが!!」

かの有名なラーメン屋の回ですよ。

 

この回、暗いといえば暗い話ですね。

僕は、北の国からシリーズ、暗いとか悲しいとかいう受け止め方はしないタチですが

この回はさすがにちょっと暗いですね。

というのも、この回、純の「ずるさ」「きたなさ」「弱さ」に焦点を当てた話になっていて、

丸太小屋が火事になるのもこの回です。

出火原因となったのは純が薪ストーブの上に濡れた衣服を放り投げた事

それを「よく覚えてません」とトボケた純。

正吉は純をかばって、やってないのに「僕がやりました」

と相変わらず男らしい。

そのせいで、村ではまた正吉が五郎さんに迷惑かけた事になってたり。

東京から来た新しい友達を川で溺れさせたあげく

裸のままで置き去りにしたり

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冒頭から悪ガキの悪行ぶりが延々と描かれるわけです。

そのくせ自分は悪くないと言い張り、人のせいにする。

見ててかなり癖易ですが、

思い起こせば自分もこんな悪ガキだったわけで、

世代も純君(吉岡秀隆)と同世代で、吉岡氏のほうが2歳ぐらい上かな

まあ、昭和の悪ガキですよ。

僕も、いま思えばけっこう危ない事やってましたよ。

一歩間違えたら死んでてもおかしくないって事も1度や2度じゃないですよ。

なんていうんでしょう、

物の善悪は分かってるんですけど、

例えば、調子に乗った時、悪ノリする時のボーダーライン?

ココを越えたら「やばいぞ」っていう感覚みたいなのが

大人よりずっと鈍いんですね。

今の感覚では信じられない事、平然とやるんです。

現代は子供の遊びに親が付いていくようで

公園デビューうんぬんとか、それもどうかと思いますが

昔の放任主義もよくあれで大きな事故が起きなかったなあと

不思議に思いますよ。

まあ、鈍いなりにも、もってたんでしょう。

「ココを越えたらやばいぞ」っていうボーダーライン。

話ちょっとそれましたが

それでラストのラーメン屋のシーンです。

いままで、すべて正吉のせいにして悪いのは自分じゃないと言い張っていた純が

「悪いのは僕です」

とカミングアウトするわけです

ここが、純君のいいところなんです

汚かったり、ずるかったり、弱かったり

そういうところはあっても

最後は、(そのドラマの回の最後は)反省し正直にカミングアウトするんです。

僕なんか少年時代の悪行、姑息な所行、人のせいにした事

今だに誰にも打ち明けてないままの事

たくさんありますよ。

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閉店時間を過ぎ、イライラした店員のおばちゃんが

「もう閉店です」と

純がほとんど手をつけていないラーメンを下げようとしての

「子供がまだ食ってる途中でしょうが!!」

です。

五郎さんの、正直に打ち明けた純を

温かく受け入れている気持ちが伝わる、名シーンでした。

北の国から83冬

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北の国からシリーズでも特に寂しい雰囲気漂う

あの笠智衆の話ですよ。

 

───五郎がみどり(正吉の母)の借金の連帯保証人になっていたことから、700万円のの借金の肩代わりをする事なって、すったもんだの話。

この回の冒頭、家出した正吉が純たちの前に現れ、以来五郎の家にしばらく居候する事になっていた。年明け、そんな純、正吉、蛍たちの前に謎の爺さんが現れお年玉をくれる。中身は50円。

その爺さんは沢田松吉(笠智衆)。開拓時代、豆大臣と呼ばれていた伝説の人。五郎の借金の話を聞き、「ワシの山を売ればよい」と言うが、実は山も財産も何もない。松吉はボケている。

五郎がみどりの借金を背負わされた事は子供たちの耳にも入る。例によって口の軽い草太兄ちゃんによって。正吉はショックで、やさぐれ、正吉の役割、屋根の雪下ろしもせず花札で遊んでいる。そこに帰ってきた五郎はおもわず正吉につらく当たってしまい、正吉は家を飛び出す──

 

 この頃の五郎さん、時々こういう殺伐とした感情を子供に向ける事があって、シリーズ晩年のなにがあっても優しいだけの五郎さんよりずっと、いいんですよね。今回も大人たちの前ではすっかり顔を上げられず、ちじこまってばかりの五郎でしたが、そのうっぷんを正吉にぶつけるという感じ。そのくせみどり本人には「金の事なんて忘れちゃえよ」なんてかっこつけてる。

しょーもねーけどあるよね、そうゆうこと。

と、つい苦笑しながら見てしまうのでした。

 

───翌日、帰ってきた正吉は屋根の雪下ろしをして、落下し雪に生き埋めになる。幸い、一命は取りとめ、病室で眠る正吉を見守る純たち───

 

この回の名セリフ

「正吉は屋根の雪下ろしをやったんだ」

「それが、父さんを喜ばせるたった一つの事だから」

「正吉は、屋根の雪下ろしをやったんだ」

このシーン、悲しすぎるとか、暗いとかいう人も多いようだけど、別に、悲しみや不条理を描いているわけじゃないと思いますよ。

五郎に八つ当たりされ飛び出した正吉は、吹雪の中一晩外で過ごし。翌朝、帰ってきて、家の中にも入らず、誰にも気づかれず、だまって屋根の雪下ろしをしたんです。

正吉の、男気、気骨を描いてるんです。

イイ男じゃねえか、正吉。

 

───結局、借金は村の人たちが少しずつ農協から借りて工面してくれて解決。

しかし、松吉は納得いかない。

どうしてわしの山を売らない。

わしの山を売ればすむことじゃろうが。

五郎ら大人たちは、松吉の気持ちがありがたいから、「あなたボケてます」なんて言えない。

たまらず孫娘の妙子(風吹ジュン)が切り出す

「山なんてとっくに無いのよ!」

そして、北の国からファンには有名な名シーン

「ま~め~」

と、雪の上に豆をまく笠智衆───。

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このシーンもボケたジイサンの悲哀を描いているわけではないんです。

強烈な、力強い、故郷への愛。

───郷愁。

を描いているのだと思います。

ここでもっとも印象に残るのは蛍の目線。

おじいさんに対しての慈愛と尊敬に満ちた優しい目。

テレビシリーズの杵次(大友柳太郎)のときもそうだったけど、昔の威光を背負っている年寄りに対して、大人たちが、ちょっと煙たい、微妙な目線を送るのに対し、蛍は、曇りなく、尊敬と優しさに満ちた目を向ける。

おかあさん(いしだあゆみ)には冷たい態度をみせていた蛍だったのに・・・

子供だからこそ、おじいさんの人生、これまでの因縁は知らない。

純粋に故郷を思う気持ち、自然を愛する気持ち、村を、仲間を思う気持ちが、

蛍には、とても尊く、素敵に見えるのだと思う。

そして、僕にも。

 

北の国から

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夏にBSフジで再放送されていたの録画して見まして。

もう4回目ぐらいでしょうか

このドラマ、生涯で1番好きなドラマです。

海外、韓国、日本、新旧問わずナンバーワンドラマです。

大自然の中で、今では考えられない予算と情熱を注がれて作られた、

という意味においても今後もおそらくこの作品を越えるドラマは

出てこないでしょう。

しかし、そんな話を妻にしても

「私、これ暗くてあまり好きじゃない」

「貧乏人の悲しみを描いているのが、見ててつらくなる」

と一蹴。

 

つくづく人の好みというものはそれぞれだなあと思い知らされました。

 

僕はそんな捉え方をしたことはなく

むしろ「確かに貧乏な親子が主人公だけど、貧乏の悲しみではなく、

それは悲しいシーンもたくさんでてきますけど、そんな中で、

お金はなくとも、お金には変えられない心の豊かさとか、

派手に成功しても力を誇示するような人の下品さにたいして、

質素に素朴に生きる人の素敵さ」を描いていると

僕は受け取っていたから。

 

それは23話の名シーンに集約されていると思います。

純たちの母さん(いしだあゆみ)が亡くなり、五郎(田中邦衛)が遅れてやってきて

早く帰った事に、親戚らは薄情過ぎると非難。

そこでの清吉(大滝秀治)の言葉

「あいつが来れなかったのは・・金なんですよ」

「あの晩、あいつワシんとこ借りに来て、はずかしいがワシんとこもどうにもなくて、近所の農家起こして、なんとかやっと工面して、純と蛍と、雪子さん、飛行機乗せたんですよ」

「翌日の昼、中畑ちゅうあれの友だちが、それを聞いてびっくりして銀行に走って、でもあいつそれを受け取るのしぶって」

「だからあのバカ、汽車できたんですよ。一昼夜かかって汽車できたんですよ」

「飛行機と汽車の値段のちがい、わかりますかあなた。1万とちょっとでしょう。

でもね、わしらその1万とちょっと、稼ぐ苦しさ考えちゃうですよ。何日土に這いつくばるかってね」

「おかしいですか、私の話」

 

親戚ら、返す言葉もなし。

 

このシーン。「貧乏人って悲しい」と受け取るか「貧乏人でも五郎さん素敵」と受け取るか

皆さんはどうです?

僕は後者で、このシーン、何度見ても号泣です。

 

この清吉の話を聞いていた純と蛍は、この後

前日、吉野さん(伊丹十三)に新しい靴を買ってもらい、古い靴を捨てたのが、

どうしても気になって、靴屋に捨てた古い靴を拾いに行くわけです。

その靴は1年前、北海道で五郎に買ってもらった靴。

もともと980円の安物。

雨の日も、風の日も、純と蛍と共に、彼らの足を守り、泥だらけになり、穴があいていた靴。

そんな靴が、純と蛍はとても愛しく思われ、あっさり捨てた事を後悔し、夜な夜なゴミ捨て場を漁るんです。結局見つからないのですが。

 

このシーンにまさに「北の国から」という作品で倉本聡が言いたいことが

集約されていると思います。

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この顔。古今東西、いろんな名子役いますけどこんな顔できるのは他にいないでしょう

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靴のシーン

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ブラックラグーン

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僕の好きなアニメ1位の作品です。

 

何がいいか

 

まず、画がいいんです。目がでかくない。

僕は目がでかいアニオタ好みの萌えキャラは生理的に受け付けないので。

シリアスタッチというんでしょうか、こういう画のタイプ意外と少ないんですよね。

もちろん画だけでなく内面も魅力的な女性がメインキャストにいる事も重要な事で、
この作品のレヴィはアニメ史上もっとも僕の好みのタイプの女性と言えます。

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ウジウジしていない。弱さを見せない。

このアニメ、アニオタ界ではいまひとつ人気が上がらないのはレヴィが強すぎることが一つの要因になっているようです。アニオタの好みはうじうじ悩んだり弱かったりする登場人物が成長していく話のようで、初めから強すぎるというのはつまらないという評価になるようです。しかし精神的にも肉体的にも強くハードボイルドに生きるレヴィも大きなくくりではツンデレキャラです。「ツン」の部分が筋金入りであればあるほどに、ごくたまにみせる「デレ」の部分に強烈に心惹かれるわけです。薄っぺらいツンデキャラらとは格が違うんです。

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名シーンのロックと煙草の火をつけあうシーン

レヴィがみせるギリギリの「デレ」部分に、ああレヴィも女の子だなと胸を打たれました。

 

この作品の独特のキザなセリフ回しは賛否あるようで、僕は実はあまり好きじゃないです。

確かにちょっとキザすぎるし、回りくどすぎたり、実際銃撃戦のさなかにそんな事しゃべってる場合じゃねえだろとも思います。

 

しかしまあ無理してカッコつけるのがハードボイルドの哲学ですから、この作中の登場人物たちも、そうして頑張って無理してカッコ付けて、ギリギリのところで精一杯生きていると思えば、あたたかい目で見守ることが出来ます。また、そんな中に時折ひときわ光る名セリフがちりばめられているので、なおさら憎めません。

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「お前、生きようとしたな」

他でもたびたび取り挙げられている名セリフです

レヴィと日本のヤクザ銀次の対決のシーンでのことです

実力拮抗する二人の死闘はおもわぬ一瞬に決しました。

それは銀次の所属する鷲峰組の若い娘の組長雪緒の言葉です

「私たちは生きるために戦っているつもりです」

二人の対戦をそばで見守っていた雪緒とロックの会話の流れの中の言葉でした。

その言葉が耳についた銀次の動きが瞬間鈍り、

そのすきをレヴィが容赦なく打ち抜いたのでした。

そのときレヴィが絶命する銀次に向かってはいたセリフ

「お前、生きようとしたな」

です。

これは衝撃ですよ。

普通まあ他のアニメなら十中八九は生への執着がギリギリところで生死を分け

生きる(バトルものなら勝つ)のが普通ですが

この作品は、生への執着があったほうが負けたわけです。

このシーンに何を感じるかは人それぞれでいいでしょう。

ぼくは単純に覚悟の話だと受け止めます。

どんな世界でも、腹をくくって覚悟しているほうが突き抜ける。

あとはやはり「刹那」の美学でしょうか。

いろいろと先々の夢や希望を背負うとその分怖さや制約も生まれ不自由になる。

そんなもの捨てて、瞬間瞬間を生きるほうが結局うまくいくこともある。

なんてことを思ったり。

いずれにせよ哲学的な余韻が残るいい作品でした。

 

訣別の街

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1996年アメリカ

アルパチーノ/ジョンキューザック

 

後世に語り継ぎたい名作映画3

 

ニューヨーク・ブルックリンで警官とマフィアとの銃撃戦が発生した。警官とマフィアは相打ちとなり両者が死亡し、さらに流れ弾が当たった黒人少年も死亡した。市民から絶大な支持を得ているニューヨーク市長ジョン・パパス(アルパチーノ)は市長補佐官のケヴィン(キューザック)の反対を押し切って事件で死亡した少年の葬儀に参列し弔辞を述べた。

死亡したマフィアは保護観察中であったが、懲役刑ではなく保護観察処分が下された当時の経緯に不自然な点があることにケヴィンは気づく。ケヴィンは調査を進めるが、情報提供者が次々に殺害される。判決が意図的に軽減されていた証拠が揃い、関与が明白になった判事スターンにケヴィンは辞職を迫る。スターンは自身がマフィアに買収されたことを告白。そしてその買収にはジョンの盟友である政治家アンセルモが関与していること、さらに政界にはニューヨーク・マフィアの1人ポール・ザパティから裏金が流入していることも告白した。

 

政治家と判事とマフィアの癒着を、

若い市長補佐官ケヴィンが暴いていくという話です。

単純に、正義感あふれる若手補佐官が、悪徳政治家を成敗するという話にせず、

明白な善と悪の目線を持たず、人間のグレーな部分に一定の愛情をもって描かれている感じがいいです。

「一瞬で判断するな」

「冷たく裁くな」

「単純な善悪など無い」

「人生はタイルじゃない、モルタルだ」

・・・・・・・・

「判事には温情ある対処をたのむ」

スターン判事の不正の証拠をつかんだケヴィンが

辞職を迫りに出かける前、ジョンと対峙した時のセリフです。

 

ちょっと余談になりますが

日本の政治家たちもよく、どこかの講演会での演説のワンフレーズを切り取って、

ニュースやワイドショーなどで批判され、そのニュースをみただけであの政治家は悪だと決めつける感じ。人間そんな単純じゃないだろうと。

一瞬で、一部分で、単純に善悪を決めつける傾向はよくないなあと思ったりしたのです。

 

しかし、市長であるジョンの不正関与も明らかとなり、ケヴィンはジョンと対峙します。

そこでジョンは再三「メンシュカイト」という言葉を連発するのですが、

「メンシュカイト」とは・・・

「男と男の連携」

「そこにある何か」

「1000回電話し、褒められ、けなされ」

「握手で伝わる何か」

・・・・・・・・・・・・・・

「白と黒の間にあるグレーの領域」

「そこに生きるのが我々だ」

市長と判事と政治家とマフィア

若いころ純粋な友情で結ばれた男たちが、時を経て、

それぞれの責任ある立場となったのでしょう。

もちろん公私を混同すべきではありませんが、

人間そうはっきり分けられるものでもない、というのも一理あります。

いや、分けてしまえる人間よりも、

分けられない人間のほうが温かく見えることもあります。

政治家だからこそ、漠然とした公平よりも、一人一人との仁義を重んじると言えば、

むしろ正しい在り方にも思えます。

しかし、それは一歩間違えれば癒着になる。

気持ちは分からなくもないけど・・・

最後はグレーを肯定するのではなく、癒着は、不正。

間違っており、公人は公平でなければならない、と締めくくっています。

最後、ケヴィンが静かに引導を渡すシーンは心に響きました。

「残念です」                                                                     

「どうか引退を」

「引き際です」

田舎の政治好き青年だったケヴィン。

ジョンの演説に聞き惚れて感動しその事を伝えに行ったら

食事に招かれ、意気投合した。

その縁から、補佐官となり3年。

ジョンを心底尊敬し、補佐して守ろうと奔走した結果、不正を暴く事になってしまった。

そんな断腸の思いが心に響く名シーンでした。

 

もうひとつ言いたいのは、この作品

サスペンス要素が高いわりには、大きな波風をたてず、

静かに描いているところが一味違うんです。

平坦で眠くなると感じる人もいるでしょう。

賛否の分かれるところでもあると思います。

マフィアのボス、ポールザパティと政治家アンセルモの終盤のやり取りは特に印象的でした。

最後の引導を渡すシーンも

普通なら、ワーワーとまくし立てて問い詰めてもいい場面ですが

これ以上ない短い言葉で、静かに話したからこそ余計に

心に響いたのでしょう。