takeの感想文マガジン

映画・ドラマ・アニメ・読書・の感想・レビューを綴るブログです

ブレードランナー2049

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映像の美しさ───

音楽の雰囲気───

虚無感漂う主人公───

前作の雰囲気をしっかりと受け継いでいて

前作のファンもその点でがっかりすることはないでしょう。

僕も前作のファンとして、前作はあれで完結していて続編はいらないと思っていた派で

正直、観るの怖かったのですが

劇場上映最終期に滑り込みで観てよかったと思います。

 

前作の良さを少し語らせてください。

前作の良さはハリソンよりもルドガーハウアーの存在にあると思います。

レプリカントのロイ(ルドガーハウアー)は前半は明らかな悪役でした。

タイレル博士の殺し方の残忍さ。眉毛が薄く冷たい肌の色。表情。

本当にぞくぞくするほど怖かったのを覚えています。

しかしその思いがラストにひっくり返ったことが衝撃でした。

単にストーリーのどんでん返しではなく、善と悪の価値観のどんでん返し。

あれ、この人(レプリカント)ただ死にたくないため、

仲間のために、あれこれと奮闘しているだけで、

普通の人間とそんなに変わらないじゃないの?

確かに残忍に人を殺す悪い奴だけど、

生き延びるため、仲間を守るために、他者を殺してきたのは

人間の歴史そのものでもあるじゃない?

ロイが悪ならレプリカントを問答無用で狩り殺すデッカードは正義の味方なの?

と、善悪の価値観を改めて考えさせられました。

悪を悪と決めつけていることに、疑問を持つ大切さを教えてくれた作品でした。

しかも、それを理屈っぽくない、シンプルで明快な

SF、アクション、エンターテイメントの中でまとめたところが凄いんです。

思春期の僕の人間形成に大きな貢献をしてくれた作品です。

そういう意味で、僕の中で生涯観た映画ベスト3に入る名作です。

 

今回の新作ブレードランナー2049も

本質的に描いていることは前作と同じだと思います。

ただ、若干理屈っぽさというか、説明的な部分が目立ち

洗練という意味ではやはり前作のほうが勝っている気がしました。

あくまで前作と比較すると、という意味で

一般的な平均的な映画と比較すれば

この作品も、決して、理屈っぽいとか、説明的というわけではありませんが。

 

あと、レプリカントがあまりに人間に近くなりすぎているのも

どうなんでしょう?と思いました。

前作もそうでしたけど、まだ、肌の色とか、動きとか、表情とか

人間離れしたところも多く見受けられましたけど

今回は、息切れするし、血は流すし、水の中で普通に窒息死するし

始めから人間とほとんど遜色なく描かれていて

まあ、いろいろと意味もあるのでしょうが

同じストーリーでもKがもう少し機械っぽい方が、むしろ、切なさがもっと心に響いたのではないかと思います。

最近見た映画で例えるなら「パッセンジャー」のバーテンぐらいな感じとか

ちょっと古い例えなら「AI」のジュウドロウぐらいな感じとか

レプリカントは機械じゃないのはわかってますので・・そこは突っ込まないでくださいね

あくまで、微妙な表情とか、ちょっとした首の動かし方とかの話です。

 

総評としては

初めにも言いましたが、世界観は前作をしっかり引き継ぎながら

映像美は断然パワーアップし、

単純なSFエンターテイメントとしても十分に楽しめますし

人間の根源的なテーマも深く考えさせられものがあり

謎解きサスペンス好きの人にも一定の驚きと、どんでん返しもあり

前作のファンでも、そうじゃない人でも

十分に楽しめる傑作だと思いました。

狼と香辛料

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旅の行商人ロレンスは麦の取引に訪れた村、パスロエで、馬車の荷台に潜り込んでいた少女──ホロと出会う。自分は麦の豊作を司る狼神だという彼女には、確かに狼の耳と尻尾が生えていた。

しかし、パスロエの村民たちは神の力などもう必要としなくなったという。

だから・・故郷である北の村ヨイツに帰りたい「ツレテッテクリョレ」

とホロに頼まれるロレンス。彼は、そんな彼女を疑いながらも、彼女の故郷であるという北の地・ヨイツへの旅を共にすることになる。

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必要とされなくなった豊作の狼神が、数百年ぶりに故郷に帰る。

故郷には家族や仲間がまだいるかどうかも分からないけど・・・。

これ、もう、設定聞いただけで泣けます。

そんな状況にいながらも、ホロの気高く聡明なツンデレ感がまたいいんです。

オープニングテーマからここまで10分程度。

僕の好みの寂しい雰囲気に、あっという間に引き込まれました。

良い作品とは最初の10分でその世界観に引き込まれるものです。

1話観て、面白そう、と思えない人はたぶんこの作品は合わないでしょう。

 

かくして

中世ヨーロッパ風の架空世界を旅する行商人と狼のロードームービー的ファンタジーが幕を開けます。

剣も魔法も登場しません。ギャグもお色気もサスペンスもありません。いや、お色気は少しあります。ホロがかわいいですから。単純なお色気というよりは、表情が豊かで微妙な感情表現が多彩で魅力的なんです。

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サスペンスも少しあります。旅先での商人としての駆け引きが各話のストーリーの軸となり、ホロも賢狼というだけあり、ロレンスに負けずの商才を発揮したりします。最初の街でいきなり大きな商戦に半ば巻き込まれ、商人なりのアクションも多少あったりして。特に強くもなく普通の人レベルですが。これ、アニメとしては他に類が無くかなり斬新ですよ。最近のアニメは、何かというと特別な超能力なり魔法なり使い戦うものが多いですから。決して日常系でもなく、毎回、ハラハラとさせられ、つづきが早く観たくなり、止まりません。意外に。

しかし

なんといっても、この物語の良さは

ロレンスとホロの掛け合いにあります。

はじめは商人らしく、損得勘定で言動をするロレンス。

ホロも見た目は15歳の少女ですが中身は何百歳もの堅狼、時に気高く聡明で、時に寂しく、儚げな顔を見せたり。

ギャグはありません。

怒鳴り合ってケンカすることもほとんどないです。

ただ、普通なテンションの、素朴な会話に、二人のやさしさがにじみ出ているんです。

余計なサブキャラ登場人物を増やさず、余計な伏線を張らず、二人の掛け合いを毎回、じっくり見せてくれる感じがいいです。

二人の絆が深まるにつれ、北に近づくにつれ、別れの予感が切なく迫り、胸がしめ付けられます。

こういう感じ、最近のアニメにはほとんどないですよ。

最近のアニメはギャグがなきゃいけないみたいな強迫観念に迫られているようなところありますから。みんな同じパターンで癖易します

最近のアニメ製作者や、プロデューサーに言ってやりたいです。

ギャグなんかなくても、こんなに面白い話が出来るんだって。

 

しかしまあ面白いという基準も人それぞれ。

先を読みながら、それが当たった、外れたとゲーム感覚で観るタイプの話が好きな人には、ギャグと萌えがなきゃアニメじゃないという人には、この話はさぞつまらないでしょう。

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その峰の彼方  笹本稜平

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───人はなぜ山に登るのか

 

という問いに正面から愚直に挑んだ山岳小説だと思います。

 

主人公の津田悟は冬のマッキンリーの難ルート単独登攀をして、遭難。

友人の吉沢と地元山岳ガイドたちによる捜索行を通して、

津田はなぜ危険な単独行に挑んだのか?安否はどうなのか?

という事だけに焦点を絞って、余計な伏線を張らずシンプルに描いています。

 

冬のマッキンリーと言えば、冒険家の植村直己氏が遭難した山としても有名で、

ヒマラヤのエベレストと比較してもその危険度は高い。

と、素人でも知っているのではないでしょうか。

そんな山に自ら踏み入って、命を懸けて、登って帰ってくるという行為は、

常人からすれば意味不明なクレイジーな行為です。

 

ではなぜ登山家たちはそれをするのか?

という疑問に、笹本さんは、愚直に応えようとしています。

 

その答えは読んでのお楽しみという事で、ここでは明かしませんが

僕は根っからの常人なのか、やはり釈然としませんでした。

 

僕は山岳小説、結構好きで、笹本さんの作品では「還るべき場所」「未踏峰」。

夢枕獏さんの「神々の山嶺」などを読みました。

そこで見出したのは

「なぜ山に登るのか?」という問いは、「なぜ生きるのか?」という問いに等しいという事です。

登山家の人たちは、一見自殺行為にも思える、危険で困難な登攀をすることによって

逆に命を燃やして精いっぱいに生きようとしているらしい、という事です。

そこに「生きる意味」を見出そうとしているらしい、という事です。

しかし、

僕は、「生きる意味」とか、「自分は何者か」とか、考えたことないたちでして・・・。

というか、そういうことを考えるのは

結局、人間特有の、贅沢な、エゴだと思ってしまうところがあるんです。

野生の動物たちは、「生きる意味」とか、「自分は何者か」、なんて考えず、必死に、一日一日を生きているわけです。

ただ、死なないように、生きながらえてるだけでは意味がない

と言ってしまえば、動物や植物の命に意味はなくなります。

 

動物や植物や昆虫の命にだって、立派な意味があると僕は思います。

 

あと、「未踏への挑戦」という意味もあるようです。

「冬季単独」とか「無酸素」とか「〇〇ルート」とかいう枕詞を付けるのは

誰もまだ達成していない未踏の挑戦をするためです。

 

未踏という事は、危険だから困難、という事がほとんどでしょう。

 

危険だから止める、のではなく、危険だから挑戦する価値がある

という発想なのでしょう。

 

なんか宇宙旅行(開発)にも似ている気がするんですが

宇宙開発も巨峰への挑戦も

───神々の領域を人間のエゴで汚している──

ような気がしてしまうんです。

僕なんかは、飛行機に乗って空飛ぶことでさえそう思ってしまい・・

45年の人生で国内便1回だけしか乗ったことありません。

しかしまあ

そういう挑戦によって今の文明社会は成り立っているわけだし、僕もその恩恵を受けているわけですから、そういう人たち(未踏への挑戦をしようとする人)を批判する気はありません。

むしろ、感謝と尊敬の思いはあります。

ただやっぱりどこか他人事のように

「自分には真似できないけどね」

という注釈付きで・・・。

 

本作品で示されている「なぜ山に登るのか」に対する応えはまたちょっと違うのですが、

今までにない切り口で、なるほどそうくるかという驚きはありました。

山岳小説好きの人はもちろん、生きる意味とは何か、と思い悩んでいる人も、

一読の価値はあると思います。

僕的には「言ってることはわかるけど、感覚的に共感はできなかったけどね」

という注釈付きで。

 

そんなことを考えた一冊でした。

 

この作品で付箋を貼った個所

「いま生きている自分のことだけを考えると大事なものを見失う。どんなことを決めるにも6世代先の人々の幸福を考えるべきだ。それがインディアンの知恵だとワイズマンは言っています」

「ずいぶん先の話だな」

「そうです。でもそう考えると、心が自由になる気がしませんか」

「孫やひ孫の世代までだとまだエゴが働く余地がある。でも6世代先の事なら自分の損得と切り離して考えられる。エゴに縛られることなく、いまを生きている自分に意味を与えられる」

 

ランチの女王

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2002年 フジ

出演

竹内結子 江口洋介 妻夫木聡 山下智久 山田孝之 伊東美咲 堤真一

 

洋食屋「キッチンマカロニ」が舞台のドラマです。

 

今じゃ考えられない豪華なキャスティングです。

堤真一江口洋介妻夫木聡山下智久の4兄弟と、若くてピチピチ絶頂期の竹内結子をメインに、脇役にはまだあどけなさの残る山田孝之伊東美咲瑛太

ほんのちょい役で桐谷健太、上地雄輔鈴木えみ

と、それだけでも一見の価値ありです。

というか、世間的には豪華キャストの、ラブコメという位置づけのようです。

 

いやいやなんの、この作品、実は骨太な職業ドラマだと思います。

 

職業ドラマは、その業界のプロが観ても納得のドラマと、

「いやいやそれはないわ」と鼻で笑っちゃうものと、

ざっくり2種類あると思います。

 

僕は高校卒業以来、いくつかの転職はしましたが、

飲食業界1筋で25年働いています。

現在は小さな焼き鳥屋を経営しています。焼き鳥屋の経営は実は2度目です。

まあ、一応プロの料理人、飲食業界人のはしくれと言わせていただいても、いいのではないでしょうか。

そんな僕が、これまで観てきた飲食業、料理人を舞台に描かれている、世界中、数々のドラマや映画の中で、一番心に刺さったのが、このドラマです。

 

つまりこのドラマは、プロが観ても納得の職業ドラマです。

いやそれどころか、仕事に行き詰ったとき、迷ったときに、定期的に見返したくなる、見返さないまでも、セリフを思い出して励みにする、そんなドラマです。

 

ではプロとして何が心に刺さったのか、行き詰ったとき、迷ったとき、思い出して励みにするセリフとは何か?

 

を、ここから下の部分で語らせていただきます。

 

1話。ふらりと帰ってきた長男健一郎(堤真一)に店の売り上げ12万円を持ち逃げされ、

勇二郎(江口洋介)はボヤキます。

 

「ヤメダヤメダこんな店もう。お前アホらしくねえのかよ。あいつが持ってった12万稼ぐのによお、おれは何個オムライス焼いて、何個ハンバーグこねた。お前だってそうだ、何合米といで、何個玉ねぎ刻んだ。今日という今日はよう、心の底からあほらしくなったよ。こんなくそ暑い毎日によう、フライパンなんか振ってられるかよ。一生オムライス焼き続ける毎日なんて俺はもうまっぴらだ」

「一枚850円のオムライスをよお、何千枚焼いても、何万枚焼いても、好きな車も買えないでよお、好きな女に会う時間もなくて、それで一生終わっていいのかよ」

 

別に売り上げ持ち逃げされなくても、このボヤキ、料理人なら、特に飲食店経営者なら、一度は口にしたことあるのではないでしょうか。

今の僕の立場で例えるなら、12万売るのに1本200円の焼き鳥600本焼かなきゃいけないわけです。600本焼いても12万がそのまま手元に残るわけではなく、鶏肉の仕入れ原価や家賃、光熱費、人件費を差し引けば、手元に残るのは微々たるものです。

ほんとやってられません。

まあ、どんな職業でも構造はそう変わりはないと思いますが

飲食業というのは、特に利益効率の悪い商売だと思いますよ。

僕は、まったくこの思いから10年続けた1度目の焼き鳥屋を閉業しました。

 

そんな勇二郎の言葉を聞いた麦田なつみ(竹内結子)は言います

 

「おいしかったのここのオムライス。ねえ、何であんなにおいしいものやめちゃうのよ。朝さあ、嫌なことがあっても、あっ、ランチはあそこであれ食べようって、それだけで気が晴れるし、どうしようもない思いが救われることだってあるの。そういう場所が、いつも同じ場所にあって、変わらないものが、変わらないでいてくれるって、すごいことなんだから。毎日毎日フライパン振って、ずーっと変わらないおいしいもの作るの、すごい素敵な事じゃない。なんで、やってる本人たちがわからないのよ」

 

やってる本人だからわからないんですけどね・・。

 

僕にもこういうこと言ってくれる人がいたら、1度目の店、もしかしたら、もう少し続けられていたかもしれませんが。

 

この竹内結子のセリフ、いまだ時々思い出しては、自分を励ましています。

 

こういう葛藤は料理人や飲食業経営者にはリアルな、根源的なもので、

そういう意味でもこのドラマ、1話から飲食業界の核心を突いており、あっぱれでした。

 

2話。居候して働き始めた、なつみが3つの失敗をして出ていくこととなり・・去り際

 

なつみ「でも、ひとつだけお願いしてもいいですか」

勇二郎「何だよ」

なつみ「ビシソワーズの値段300円じゃなくて150円になりませんか」

勇二郎「何を言ってるんだよ、それじゃあうちの儲けが出ないだろ」

なつみ「でも150円じゃなきゃ困るんです。ていうのは、ランチっていうのは1000円以内じゃないとダメなんです。つまり150円にすればオムライスやハヤシライスと一緒に頼んでも、なんとか1000円で納められるでしょ」

勇二郎「そんな事までねえ、なんでお前に口出されなきゃいけないんだよ」

なつみ「でも、ランチは毎日の事だし、毎日予算オーバーできないし、1000円超えちゃったらあきらめなきゃいけないんです。ビシソワーズ」

勇二郎以下、マカロニの面々どんよりと黙り込んでしまう。

 

僕も、昨日今日働き始めたバイトにこんなこと言われたら、勇二郎と全く同じこと言うでしょう。商品の価格というのは、材料の原価やその地域や同業ライバルの相場から、

ギリギリの利益も考えて苦渋の決断をするわけですから。

そんな価格を、さらに安くしろなんて言われたらカチンときちゃいますけど・・

 

ここにも当事者だからこそ見落としがちなお客さん側の事情もあって・・・

 

このなつみのセリフもプロとして耳に痛く響きます。時々思い出さなければいけないと思う言葉です。

 

5話。 店を辞めようと考えた勇二郎は友人の江木(豊原功補)の仕事を見学します。

江木は経営コンサルタント。つぶれた飲食店を安く買い取ってリノベーションする仕事なんかをやっているようで、この回では伝統の蕎麦屋の閉業の場面に立ち会い、複雑な思いで考え込む勇二郎に、江木は言います。

 

「確かに伝統の味っていうのはすごいよ。あの蕎麦屋の味を何十年も楽しみにしてきた客がいるってのはわかる。一つの味を守り続ける職人を立派だとも思う。でもなあ、その味がなくなったって死ぬやつはいない。ほかの店に食いに行くだけだ」

 

この江木の言葉も飲食業界人の心の底に常に張り付いている暗い諦観なんです。

飲食店は、医者や弁護士のような社会に絶対に必要な仕事じゃないんです。

結局は贅沢品商売で、なきゃないで本気で困る人はいないんです。

何年もフライパン振り続けてたり、焼き鳥焼き続けたたりすると

周期的に、こういう暗い感情が頭に張り付いて、やってられない気分になります。

そんな飲食業界人の気持ちを鋭くついたセリフです。

別に、飲食業だけの話じゃないでしょう。サービス業界全般にも言えることでしょうし、サラリーマンの方々だってそうでしょう。

ていうか、人間の存在そのものにも当てはまると言えなくもないし・・・。

しかし、「それを言っちゃあ、おしまい」なわけで、

結局、必要とされてるかどうかという事よりも

自分がどうしたいか、でやっていくしかないと思うんです。

 

7話。夕方の休憩時間にふらりとキッチンマカロニにやってきた江木は

ここで出しているようなオムライスではなくて、半熟の卵がとろりとかかっている、ちょっと高級そうなオムライスを食わしてくれと勇二郎に頼みます。

勇二郎は、それをちょちょいと作ります。

それを見た、なつみは「あんなオムライスもつくれるんだ~」と舌なめずり。

純三郎(妻夫木聡)は「あれだと卵3個使うからうちの値段じゃ割にあわないんだよ」

と説明します。出来上がったオムライスを食べて、江木が言います。

 

江木「うまいなあこれ。おれはなあ、このてのオムライス一つ、3000円で出す店を知ってる」

江木、立ち上がって店内フロアをぐるりと見渡し

江木「このカウンターの前あたりにガスをうつして、焼いたり割ったりするんだ。客も喜ぶ。週休2日。営業は夜のみ。そりゃそうだ、ランチなんかやらなくたって十分な利益が出るからな。ここをそういう店にする気はないか」

純三郎「ちょっと待ってくださいよ」

江木「ここの味をブランド化して、みんなでもっと楽な暮らしをしたらどうかと提案してるんだよ」

純三郎「オヤジは、ここをそんな店にするために、オムライスを作り続けたんじゃないんです。オヤジは・・みんなに、喜んでほしくて、安くておいしいものを・・」

江木「でも、オヤジさんの人生は惨めだったんじゃない?働いて働いて、毎日毎日儲けにならない料理を作り続けて。挙句の果てに早死にだ。疲れちゃったんだ」

純三郎「ふざけんな、お前にオヤジの何がわかる!出ていけよ!!」

 

この江木の話、我々プロからするともっともな経営戦略なんです。

特に僕らみたいな、個人経営の店は、キッチンマカロニもそうですが、安さを売りにしても、大手企業のチェーン店にかなわないんです。特に洋食屋の場合はファミレスが、最近はクオリティー高いですし。大手チェーンは全国数十、数百店舗で一括仕入れすれば当然割安で仕入れられますから。同じ食材を仕入れれば、当然大手のほうが安く仕入れられるわけです。コストパフォーマンスでは逆立ちしても個人店は大手外食産業に太刀打ちできないんです。ならば、あえて高級志向の、一部の狭い範囲のマニアックな客層にターゲットを絞った、一点豪華主義的発想の店にした方がいいと考えるのがむしろ、セオリーなんです。しかし、「安くておいしいものをつくる」という、純三郎のようなまっすぐな初心も捨てちゃいけないような気がして・・。

僕もこの問題は相当に悩みました。

キッチンマカロニも純三郎は、ストレートに反発しましたが、勇二郎は重く受け止め、この後、しばらくどうするか悩みます。

 

最終話。勇二郎はキッチンマカロニを、いままでどうり変えずに、営業を続けていく決断をします。

 

勇二郎「俺さあ、今やっとわかったよ、俺たちは、健一郎みたいな人とか、何か、寂しかったり、なんか楽しかったりする誰かが、いつ来てもここにあるように。そのためにここでずっと、ランチをやってるんだな」

純三郎「そうだよ、みんなまた戻ってくるんだよ」

なつみ「わたしわかってたもーん。それがランチなの」

 

このドラマ、全編通して、つらい境遇にある人たちを、何を語るという事ではなく、一皿の料理とあたたかなまなざしで、癒していく様子が描かれていきます。

自分は食べず、息子にだけ1皿のハヤシライスを食べさせているリストラされたサラリーマン(モロ師岡)のエピソードや、

 

業務上背任で5年間服役し、すべてを失った元エリート(石黒賢)のエピソード。

夫のDVで顔にできた痣を隠し、カウンターで一人泣きながらクリームコロッケを食べる人妻、秀美(梅宮万紗子)のエピソードなど。

 

 

「あんた、弱い人の思いがわかるか。泣きながらもの食ったことあるか。あんた、涙の味が混じった、クリームコロッケの味、知ってるのかよ」

 

このドラマでなぜか一番心に響いた3話での勇二郎のセリフです。

 

僕は、泣きながらものを食ったことあるか・・・微妙です。

しかし、どんな人も、寂しさや、迷いや、心の疲れの一つや二つは抱えてるものです。

そんな人たちの心を、ほんのつかの間でもホッとさせられるように

僕も、焼き鳥を、一生焼き続けていかれるのなら

それはとても幸せなことだと、ようやく最近思うようになりました。

しかし、数か月後には、1話の勇二郎のように逆戻りしてるかもしれません。

その時は、またこのドラマを見てリセットします。

 

ぼくとアールと彼女のさよなら

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2015年 米

 

───男子高校生のグレッグは友達と呼べる相手もおらず、なぜか気が合うアールと共に名作のパロディー映画を作る冴えない日々を送っていた。そんなある日、幼馴 染みだが疎遠になっていた女の子のレイチェルが白血病になり、グレッグは母親からレイチェルの話し相手になるようにと言われる。今ではレイチェルはたいした友達でもなく、ただの同じ学校の知り合い程度で、そんな仲ではないと断るのだが、グレッグは半ば強引に彼女の家に行かされる事になる───

 

レイチェルも、たいした友達でもないグレッグの突然の来訪に

 

「病気の事を聞いたのね。同情ならいらないわ、帰って」

 

とまあ、そりゃそうだなという反応をします。

そこでのグレッグの返しの言葉が最高です。

 

「母さんに言われて仕方なく来たんだ。しばらく君といないと母さんにドヤされる。今回の件はマジでウザイ。君のために来たんじゃない。僕のために頼むよ。1日だけ一緒に過ごそう。それで母さんが納得したらもう来ない」

 

これ、優しさで計算して言ってるわけではなく

どうやら裏表なく本気で言っているもようです。

しかしレイチェルは、他の親友などからは感じられる、

優しい言葉や励ましの言葉の裏にある同情や憐憫の気配が、

グレッグにはないと感じたのか、彼を部屋に招き入れます。

グレッグはどうやら中二病

中二病の定義、オッサンの僕にはよくわかりませんが。

極端に偏った自分の世界に閉じこもりつつも、周りの目が過敏に気になるとか

そういうことでしょうか?

中高生の学生時代を思い返しても僕にはそういう感じ全くなかったですし。

この作品を評価する人のレビューいくつか見ましたけど、

この主人公の人物像に共感したというものが多いようでしたが、

僕にそれはまったくそれはありませんでした。

しかし、その中二病ぶりが、計らずもがな、病気のレイチェルにとっては救いになっていくというのです。

彼女の部屋に入ったグレッグは、クッションのフランチェスカでオナニーする話とか、

中二病トーク炸裂。

レイチェルも嬉々としてグレッグの話に聞き入ります。

この時のレイチェル(オリビア・クック)の表情がなんともかわいいんです。

本当に心の安らぎになっているという様子で。

 

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それから二人はただの知り合いから親友になっていくのですが、

親友になったグレッグはレイチェルの病気の事が本気で心配になるようになり、

闘病方針をめぐって怒鳴ってしまい、喧嘩になり・・・

気持ちがが近づけば近づくほどに関係はギクシャクと疎遠になってしまい

最後はどんでん返しもなく予想どうりの展開で・・・

なんというのかなあ・・

僕は″病気もの“結構好きでいろいろ観てきましたけど

なかなかにシュールな作品でした。

大きな感動とか、泣くとかいう作品じゃないんですけど、なにげに人生訓なんかもちりばめられていて、静かに心にしみるような秀作でした。

 

静に心にしみるシーン。

中二病気味の先生が唯一真面目に、落ち込むグレッグを励ました言葉。

レイチェルのお母さんが酔っ払って、ポツリとこぼした言葉。

学校のみんなから励ましのビデオレターみたいなの撮ったやつ見て

「何だこれ」とつぶやくアール。

「そんな事でいちいちこんなところに来るんじゃねえ」

とグレッグを殴るアール。

・・・・・・・・

 

鹿の王  上橋菜穂子

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ストーリー

飛鹿乗りの戦士団「独角」の頭ヴァンは東乎瑠帝国との戦いに敗れ、岩塩鉱に囚われ捕虜として過重労働を課せられる日々を送っていた。そんなある夜、不気味な犬の群れが岩塩鉱を襲い、謎の疫病が発生。奴隷も看守も岩塩鉱にいたすべての人が死滅する中、犬にかまれながらも生き延びたのはヴァンと炊事係の女の娘らしき幼子の二人。ヴァンはその幼子にユナと名前をつけ、共に岩塩鉱から逃走する。

一方、東乎瑠帝国の若き天才医師ホッサルは、岩塩鉱を訪れ、遺体を調査。その病は250年前に自らの故国オタワル王国を滅ぼした伝説の疫病「黒狼熱」であることに気付く。なぜ今になって疫病は蘇ったのか。その原因も治療法も見つからぬ中、岩塩鉱の惨事から生き延びた囚人がいると知る。その男が何かしら疫病の謎を解くカギを握っていると考え、ホッサルは東乎瑠帝国のオタワル領主、王幡候の次男、与多瑠の後ろ盾を得て、逃走した囚人に追っ手を放つ。その追っ手として選ばれたのが奴隷狩人の一族「モルファ」の頭マルジの娘サエ。

物語は幼子を連れて逃げるヴァン、パンデミックの阻止に奔走するホッサル、のW主人公形式に、狩人サエの視点を交互に織り交ぜながらスリリングに進行していく。

 

 

総評

かつて国を滅ぼしたほど猛威を振るった伝染病再発の謎と、その特効薬の開発に奔走する様を描き、重厚な医療ミステリーの要素が強いです。

文庫2巻の解説をされた医師の夏川さんは

「膨大な医学の知識に裏打ちされた現代免疫学の形態はほとんどそのままの形」

と評していますが、医療知識を、おそらく膨大な資料を読み解き、たくさんの取材を重ね、ごまかしなく真摯に描いている様には頭が下がります。

ファンタジー作品という形式であるのだから、現実にはあり得ない、超常現象的な事を、

‟物語の世界観の中の常識“として描いてもいいところでしょうが、上橋さんは決してそういう描き方をしません。そこが好きです。

反面、本作はエンターテイメントとしては「獣の奏者」などと比較すると躍動感にかけ、若干難解な印象でした。

また完全に二人の主人公を並行して交互に描きながら、最後に収拾するという形は、今までの上橋さんの作風にあまりなく、新しい新境地を開拓しようという姿勢は素晴らしいことだと思います。謎解きミステリーとしても十分に楽しめるのではないでしょうか。

僕は謎解きミステリーはあまり好きではないので、個人的な好みを言わせてもらえば、あまり好きなタイプのスタイルではありませんが・・・・。

ただ何といっても

歴代の作品のすべてに通じる上橋さんの真骨頂ともいうべき魅力は、本作も健在で、

総評としては、たくさんの事が心に残る、十分に満足できる、素敵な作品でした。

 

 

上橋さんの作品の魅力の真骨頂とは

 

主人公たちが真摯に、地道に相手の声に耳を傾けようとするところにあると思います。

特に声なき者やと言葉の通じない動物などに対しての向き合い方。

例えば、本作で言えば

狩人のサエは、

岩床に頬をつけるようにして、ごく低い位置から床の上をながめ

追跡する、今はそこにいない相手のわずかな痕跡から、行動心理を量ろうとします。

飛鹿乗りのヴァンは

長い年月をかけて鹿と寄り添い少しずつ絆を深めていきます。

医師ホッサルは、病巣と真摯に向き合い、地道な試行錯誤を繰りかえし、疫病の原因究明と、拡散防止に奔走します。

上橋さんの作品は、架空の異世界を舞台に描かれるので、ファンタジー作品に分類されているようですが、既存のファンタジー作品によくあるような魔法や超能力は一切出てきません。現代の、普通の人間でもやろうと思えばできる方法で、しかし、そう簡単に誰もがやろうとしない方法で、真摯な姿勢と地道な努力で少しずつコミュニケーションを深めていく、主人公の姿に胸を打たれます。

前作「獣の奏者」はドラゴン使いの少女エリンが主人公の話ですが、

まるで日本の小学生のウサギの飼育係のように、毎日ドラゴンの檻に寄り添い、

その微小な動きを観察しながら、長い時間をかけ少しづつ意思疎通ができるようになっていきます。

そんな登場人物たちが素敵なんです。

僕なんかはどうしても、自分の気持ちや考えをどう伝えるか、という事ばかりに腐心して、人の声を聴かないことが多い気がします。

「ああオレも、人の声にちゃんと耳を傾けなきゃいかんなあ」

と思ったりしたのでした。

 

もう一つの魅力は、物事の善悪や価値観を一つに断定しないところです。

主人公たちは、常に迷い、揺れながら模索し、物事の表と裏を見つめる視線があります。

例えば

この物語の世界では、オタワル医術と清心教医術という2つの医療術式があります。

簡単にいえばオタワル=西洋医学、清心教=東洋医学のようなものです。

主人公ホッサルはオタワル医術師ですが、

清心教医学が東乎瑠帝国の司祭医(政府公認医術師みたいなもの)で

オタワル医術はどちらかといえば邪教とされています。

日本の時代背景に当てはめると、江戸末期から明治にかけてぐらいの文明背景で、そのころは東洋医学が主流だったような事、と考えれば分かりやすいのではないでしょうか。

それとも微妙に違うのですが・・・。

清心教医術の理念は司祭医長の呂那がこう語っています

「私どもが救いたいと願っておりますのは、命ではございません」

「私どもが救いたいと願っておりますのは、魂でござりまする」

「命あるものはみな、いずれ必ず死にまする。大切なのは、与えられた命をいかに生きるかであって、長短ではござりませぬ。穢れた身で長らえるより、清らかな心で安らかに全うできるよう、私共司祭医は微力を尽くしているのでござりまする」

 

対して

オタワル医術師の理念はホッサルの祖父リムエッルがこう語っています。

「司祭医は人が病で死ぬことを、はなから諦めてしまっている。清心教が持ち出す神の道理というのは、そのあきらめを、患者と身内に納得させ、自らの無力を納得するために生み出した究極の理屈だ」

「我らは、あきらめない。決して。そして、患者にもあきらめさせぬ。決して。病は、患者一人の問題とは限らない。感染症の場合は、あきらめて治療を拒んだ者がいることで、ほかの人々に病を広げてしまう可能性があるのだからな」

 

この二つの医術師は、真っ向対立しています。

しかし、こうして並べてみるとどちらも一理あると思わせられます。

ただ、主人公はホッサルで、彼があきらめずに病の究明に奔走する姿が描かれていくわけですし、現代医療の考え方にも近いオタワル医術に、我々読者は、どちらかといえば傾倒して読み進めていくのではないでしょうか。

そんな折、ホッサルが懸命に治療を続けていた鷹匠が亡くなります。

伝染病であったため、妻と娘たちは近寄ることすらできず、泣き崩れます。

治療に手を尽くしつつも及ばなかった、ホッサルの妻ミラルは深くため息をつき、定型的なお悔やみを言い、静かに頭を垂れます。

そこへ清心教医術師の真那がやってきて妻子に声をかけます。

そのシーン抜粋します

───

「苦しい最期であられましたが、天の神はあの苦しみを見ておられました。いま、神はその御手に御夫君を抱き、よく頑張った、よく生きた、とお認めになって、天上での安らぎへと導いておられます」

「おつらいでしょう、しかし、頑張って、よく生きてください。神はみておられます。神に与えられた、この地上でのいっときの生、見事に遂げれば、やがて、天上にて、御夫君と、いま一度抱き合うときが訪れます。それまでの辛抱です。どうか、よく生きてください」

 妻子が声をあげて泣き始めた。その泣き声は、しかし、さっきまでとは違う、どこか、解き放たれたような、ほっとしたものを感じさせる泣き方だった。

マコウカンはわずかに腰をかがめて妻子を慰めている真那を見ながら、

人の力では及ばぬところへ来たときは、司祭医の方が、人を救えるのかもしれない。

と、そんな思いが、ふと心によぎった。

───

 

上橋さんが、ホッサルの味方になっている我々読者に、

「本当にそれでいいの?」

と、問いかけてくるようでした。

そういう問いかけは、私たちの人生においても必要だなあ、と思うのです。

 

僕は、清心教医術師の理念を聞いたとき、昔「エホバの証人」という宗教が社会問題になったことを思い出しました。

あの時、「エホバの証人」とは全く理解できない、奇人たちの集団のように思っていましたが、彼らにも清心教医術師の理念のような考えがあったとするなら、そうおかしな集団でもなかったのかなあと、思ったりしました。

 

物事を白か黒かにぶった切るのではなく、黒だと思ったことに、ほんとに黒かな?と考えようとすることは大切だなあと思うのです。

 

「鹿の王」について

ヴァンはこう語ります

「飛鹿の群れの中には、群れが危機に陥ったとき、己の命を張って群れを逃がす鹿が現れるのです。群れの長ではなく、かつては頑健であった牡で、いまはもう盛りを過ぎ、しかし、なお敵と戦う力を充分に残しているようなものが、そういうことをします。私たちは、こういう鹿を選び「鹿の王」と呼んでいます。群れを支配する者、という意味ではなく、本当の意味で群れの存続を支える尊むべき者として」

 

飛鹿乗りたちの「王」に対する概念。カッコいいじゃねえか。

と思わせられるのですが

ヴァンの父親は、

「そういう鹿のことを、呑気に「鹿の王」だのなんだのと持ち上げて話すのを聞くたびに、おれは反吐がでそうになるのだ。弱い者は食い殺されるこの世の中で、そういうやつがいるから、生き延びる命もある。助けられたものが、そいつに感謝するのは当たり前だが、そういうやつを、群れをたすける王だのなんだのと持ち上げる気持ちの裏にあるものが、おれは大嫌いなのだ」

といいます。

 

なにか一つの正解が浮かび上がってくると、すぐさま正反対の考えをぶつけて、本当にそれでいいの?と問いかける姿勢・・・。

おかしいんじゃない?バカじゃない?狂ってるよ。

と思ってる相手を、本当にそうかな?と理解しようとする姿勢・・・。

上橋さん自身がそういう人なのだと思います。

僕もそういう人でありたいと思いました。

君の名は。

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君の名は

 

ついに観ました。

本当はあまり観る気なかったのですが・・・

嫌でも入ってきた事前情報では、僕の好みではなさそうだったので・・・

地上波放送で観ればいいやぐらいな感じで・・・

ツタヤで一週間レンタルになったので、5本千円の数合わせで仕方なく借りて観ました

いやはや、意外におもしろかった。

しかし、ここまで社会現象になる程の理由は、やはりわからないな。

というのが率直な感想です。

 

これ、連続TVアニメにした方がよくない?と思いました。

入れ替わったときのシーン、面白かったのに

ほとんどダイジェストにしてしまってたのが残念で・・・。

映画の尺で、この壮大な話を描こうとしての苦渋の編集だったのでしょう。

映画の尺としては精いっぱいだと思いますよ。

連続アニメにして10話ぐらい入れ替わったときのシーン積み重ねてから

ラスト2話ぐらいでクライマックスシーンを描けば、

あのラストがもっともっと心に響いたような気がします。

今一歩、泣くところまで感情が盛り上がらなかったのは、

あそこ、ダイジェストにしてしまったからではないかと思うので・・・。

 

忘れたくない思い

流れゆく時代の中で、人の心も体も変わってゆく

それが自然であり、変化を前向きに受け止めてゆくのが人生でもある

過去に、いつまでもとらわれていては、前に進めないのだから。

と、思っていても

心のどかかに、変わりたくない、忘れたくない

という思いがある。

そんな、誰しもにあるであろう深層心理を

美しいアニメーションとロマンチックなストーリーで見事に描いているところが

幅広く多くの人の涙腺をくすぐったのではないか

というのが、僕が分析する、精いっぱいの

この作品がここまで社会現象になった理由です。

特に変化を自然に受け入れている大人ほど、

忘れたくない

という思いが眩しくキラキラと心に響いたのではないでしょうか。

 

とはいえ、そういう分析はできても

感情的に僕がそこまで盛り上がれななったのは

類似作品たくさん思いつくし

いや、こういうテーマなら、あっちの方が面白かったよと思う作品たくさん思いつき、

つまりは、特別な驚きや新しさは何も感じなかったという事

と、

僕は、これは少数派という自覚はありますが

人並み以上に過去を振り返らないタイプで・・・。

同窓会とか1度も行ったことないし・・・。

「忘れたくない」というシンプルなテーマがそこまで響かなかったのかな・・

 

 

類似作品について、例えば、

過去に戻って好きな人の運命をかえようとするところは

「バックトゥザフューチャー」的でもあるし

時空を超えてつながる糸という感じは

韓国ドラマ「屋根部屋のプリンス」「九家の書」も面白かったですし

一番、なぜか強く思い出したのが

日本のドラマ「100年の物語」

TBSで2000年に放送された松嶋菜々子主演の3夜連続のスペシャルドラマ

大正から平成までの百年を背景に、ある地方士族の家系を軸にした恋の物語を描く3部作で、特に第3夜の現代編、渡部篤郎との話は最高でした。

 

これがこんな社会現象になるなら、あれだってもっと社会現象になっててもいいのに・・という嫉妬半分で・・

ツタヤ旧作の棚にあるから、借りて観てみてよ、それでも「君の名は」のほうがいいと言われたらもう何も言わないから、というおすすめ半分。

両方観たという人には「どっちがいいと思う?」と語り合いたい少々で。

 

 

まあやはり、アニメ映画というのが一つのポイントなのかな・・。

宮崎駿監督が引退された今

「新海アニメ」というジャンルが

次世代のアニメ映画界を牽引していく事は

間違い無いのでしょう。

 

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