takeの感想文マガジン

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ぼくとアールと彼女のさよなら

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2015年 米

 

───男子高校生のグレッグは友達と呼べる相手もおらず、なぜか気が合うアールと共に名作のパロディー映画を作る冴えない日々を送っていた。そんなある日、幼馴 染みだが疎遠になっていた女の子のレイチェルが白血病になり、グレッグは母親からレイチェルの話し相手になるようにと言われる。今ではレイチェルはたいした友達でもなく、ただの同じ学校の知り合い程度で、そんな仲ではないと断るのだが、グレッグは半ば強引に彼女の家に行かされる事になる───

 

レイチェルも、たいした友達でもないグレッグの突然の来訪に

 

「病気の事を聞いたのね。同情ならいらないわ、帰って」

 

とまあ、そりゃそうだなという反応をします。

そこでのグレッグの返しの言葉が最高です。

 

「母さんに言われて仕方なく来たんだ。しばらく君といないと母さんにドヤされる。今回の件はマジでウザイ。君のために来たんじゃない。僕のために頼むよ。1日だけ一緒に過ごそう。それで母さんが納得したらもう来ない」

 

これ、優しさで計算して言ってるわけではなく

どうやら裏表なく本気で言っているもようです。

しかしレイチェルは、他の親友などからは感じられる、

優しい言葉や励ましの言葉の裏にある同情や憐憫の気配が、

グレッグにはないと感じたのか、彼を部屋に招き入れます。

グレッグはどうやら中二病

中二病の定義、オッサンの僕にはよくわかりませんが。

極端に偏った自分の世界に閉じこもりつつも、周りの目が過敏に気になるとか

そういうことでしょうか?

中高生の学生時代を思い返しても僕にはそういう感じ全くなかったですし。

この作品を評価する人のレビューいくつか見ましたけど、

この主人公の人物像に共感したというものが多いようでしたが、

僕にそれはまったくそれはありませんでした。

しかし、その中二病ぶりが、計らずもがな、病気のレイチェルにとっては救いになっていくというのです。

彼女の部屋に入ったグレッグは、クッションのフランチェスカでオナニーする話とか、

中二病トーク炸裂。

レイチェルも嬉々としてグレッグの話に聞き入ります。

この時のレイチェル(オリビア・クック)の表情がなんともかわいいんです。

本当に心の安らぎになっているという様子で。

 

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それから二人はただの知り合いから親友になっていくのですが、

親友になったグレッグはレイチェルの病気の事が本気で心配になるようになり、

闘病方針をめぐって怒鳴ってしまい、喧嘩になり・・・

気持ちがが近づけば近づくほどに関係はギクシャクと疎遠になってしまい

最後はどんでん返しもなく予想どうりの展開で・・・

なんというのかなあ・・

僕は″病気もの“結構好きでいろいろ観てきましたけど

なかなかにシュールな作品でした。

大きな感動とか、泣くとかいう作品じゃないんですけど、なにげに人生訓なんかもちりばめられていて、静かに心にしみるような秀作でした。

 

静に心にしみるシーン。

中二病気味の先生が唯一真面目に、落ち込むグレッグを励ました言葉。

レイチェルのお母さんが酔っ払って、ポツリとこぼした言葉。

学校のみんなから励ましのビデオレターみたいなの撮ったやつ見て

「何だこれ」とつぶやくアール。

「そんな事でいちいちこんなところに来るんじゃねえ」

とグレッグを殴るアール。

・・・・・・・・

 

鹿の王  上橋菜穂子

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ストーリー

飛鹿乗りの戦士団「独角」の頭ヴァンは東乎瑠帝国との戦いに敗れ、岩塩鉱に囚われ捕虜として過重労働を課せられる日々を送っていた。そんなある夜、不気味な犬の群れが岩塩鉱を襲い、謎の疫病が発生。奴隷も看守も岩塩鉱にいたすべての人が死滅する中、犬にかまれながらも生き延びたのはヴァンと炊事係の女の娘らしき幼子の二人。ヴァンはその幼子にユナと名前をつけ、共に岩塩鉱から逃走する。

一方、東乎瑠帝国の若き天才医師ホッサルは、岩塩鉱を訪れ、遺体を調査。その病は250年前に自らの故国オタワル王国を滅ぼした伝説の疫病「黒狼熱」であることに気付く。なぜ今になって疫病は蘇ったのか。その原因も治療法も見つからぬ中、岩塩鉱の惨事から生き延びた囚人がいると知る。その男が何かしら疫病の謎を解くカギを握っていると考え、ホッサルは東乎瑠帝国のオタワル領主、王幡候の次男、与多瑠の後ろ盾を得て、逃走した囚人に追っ手を放つ。その追っ手として選ばれたのが奴隷狩人の一族「モルファ」の頭マルジの娘サエ。

物語は幼子を連れて逃げるヴァン、パンデミックの阻止に奔走するホッサル、のW主人公形式に、狩人サエの視点を交互に織り交ぜながらスリリングに進行していく。

 

 

総評

かつて国を滅ぼしたほど猛威を振るった伝染病再発の謎と、その特効薬の開発に奔走する様を描き、重厚な医療ミステリーの要素が強いです。

文庫2巻の解説をされた医師の夏川さんは

「膨大な医学の知識に裏打ちされた現代免疫学の形態はほとんどそのままの形」

と評していますが、医療知識を、おそらく膨大な資料を読み解き、たくさんの取材を重ね、ごまかしなく真摯に描いている様には頭が下がります。

ファンタジー作品という形式であるのだから、現実にはあり得ない、超常現象的な事を、

‟物語の世界観の中の常識“として描いてもいいところでしょうが、上橋さんは決してそういう描き方をしません。そこが好きです。

反面、本作はエンターテイメントとしては「獣の奏者」などと比較すると躍動感にかけ、若干難解な印象でした。

また完全に二人の主人公を並行して交互に描きながら、最後に収拾するという形は、今までの上橋さんの作風にあまりなく、新しい新境地を開拓しようという姿勢は素晴らしいことだと思います。謎解きミステリーとしても十分に楽しめるのではないでしょうか。

僕は謎解きミステリーはあまり好きではないので、個人的な好みを言わせてもらえば、あまり好きなタイプのスタイルではありませんが・・・・。

ただ何といっても

歴代の作品のすべてに通じる上橋さんの真骨頂ともいうべき魅力は、本作も健在で、

総評としては、たくさんの事が心に残る、十分に満足できる、素敵な作品でした。

 

 

上橋さんの作品の魅力の真骨頂とは

 

主人公たちが真摯に、地道に相手の声に耳を傾けようとするところにあると思います。

特に声なき者やと言葉の通じない動物などに対しての向き合い方。

例えば、本作で言えば

狩人のサエは、

岩床に頬をつけるようにして、ごく低い位置から床の上をながめ

追跡する、今はそこにいない相手のわずかな痕跡から、行動心理を量ろうとします。

飛鹿乗りのヴァンは

長い年月をかけて鹿と寄り添い少しずつ絆を深めていきます。

医師ホッサルは、病巣と真摯に向き合い、地道な試行錯誤を繰りかえし、疫病の原因究明と、拡散防止に奔走します。

上橋さんの作品は、架空の異世界を舞台に描かれるので、ファンタジー作品に分類されているようですが、既存のファンタジー作品によくあるような魔法や超能力は一切出てきません。現代の、普通の人間でもやろうと思えばできる方法で、しかし、そう簡単に誰もがやろうとしない方法で、真摯な姿勢と地道な努力で少しずつコミュニケーションを深めていく、主人公の姿に胸を打たれます。

前作「獣の奏者」はドラゴン使いの少女エリンが主人公の話ですが、

まるで日本の小学生のウサギの飼育係のように、毎日ドラゴンの檻に寄り添い、

その微小な動きを観察しながら、長い時間をかけ少しづつ意思疎通ができるようになっていきます。

そんな登場人物たちが素敵なんです。

僕なんかはどうしても、自分の気持ちや考えをどう伝えるか、という事ばかりに腐心して、人の声を聴かないことが多い気がします。

「ああオレも、人の声にちゃんと耳を傾けなきゃいかんなあ」

と思ったりしたのでした。

 

もう一つの魅力は、物事の善悪や価値観を一つに断定しないところです。

主人公たちは、常に迷い、揺れながら模索し、物事の表と裏を見つめる視線があります。

例えば

この物語の世界では、オタワル医術と清心教医術という2つの医療術式があります。

簡単にいえばオタワル=西洋医学、清心教=東洋医学のようなものです。

主人公ホッサルはオタワル医術師ですが、

清心教医学が東乎瑠帝国の司祭医(政府公認医術師みたいなもの)で

オタワル医術はどちらかといえば邪教とされています。

日本の時代背景に当てはめると、江戸末期から明治にかけてぐらいの文明背景で、そのころは東洋医学が主流だったような事、と考えれば分かりやすいのではないでしょうか。

それとも微妙に違うのですが・・・。

清心教医術の理念は司祭医長の呂那がこう語っています

「私どもが救いたいと願っておりますのは、命ではございません」

「私どもが救いたいと願っておりますのは、魂でござりまする」

「命あるものはみな、いずれ必ず死にまする。大切なのは、与えられた命をいかに生きるかであって、長短ではござりませぬ。穢れた身で長らえるより、清らかな心で安らかに全うできるよう、私共司祭医は微力を尽くしているのでござりまする」

 

対して

オタワル医術師の理念はホッサルの祖父リムエッルがこう語っています。

「司祭医は人が病で死ぬことを、はなから諦めてしまっている。清心教が持ち出す神の道理というのは、そのあきらめを、患者と身内に納得させ、自らの無力を納得するために生み出した究極の理屈だ」

「我らは、あきらめない。決して。そして、患者にもあきらめさせぬ。決して。病は、患者一人の問題とは限らない。感染症の場合は、あきらめて治療を拒んだ者がいることで、ほかの人々に病を広げてしまう可能性があるのだからな」

 

この二つの医術師は、真っ向対立しています。

しかし、こうして並べてみるとどちらも一理あると思わせられます。

ただ、主人公はホッサルで、彼があきらめずに病の究明に奔走する姿が描かれていくわけですし、現代医療の考え方にも近いオタワル医術に、我々読者は、どちらかといえば傾倒して読み進めていくのではないでしょうか。

そんな折、ホッサルが懸命に治療を続けていた鷹匠が亡くなります。

伝染病であったため、妻と娘たちは近寄ることすらできず、泣き崩れます。

治療に手を尽くしつつも及ばなかった、ホッサルの妻ミラルは深くため息をつき、定型的なお悔やみを言い、静かに頭を垂れます。

そこへ清心教医術師の真那がやってきて妻子に声をかけます。

そのシーン抜粋します

───

「苦しい最期であられましたが、天の神はあの苦しみを見ておられました。いま、神はその御手に御夫君を抱き、よく頑張った、よく生きた、とお認めになって、天上での安らぎへと導いておられます」

「おつらいでしょう、しかし、頑張って、よく生きてください。神はみておられます。神に与えられた、この地上でのいっときの生、見事に遂げれば、やがて、天上にて、御夫君と、いま一度抱き合うときが訪れます。それまでの辛抱です。どうか、よく生きてください」

 妻子が声をあげて泣き始めた。その泣き声は、しかし、さっきまでとは違う、どこか、解き放たれたような、ほっとしたものを感じさせる泣き方だった。

マコウカンはわずかに腰をかがめて妻子を慰めている真那を見ながら、

人の力では及ばぬところへ来たときは、司祭医の方が、人を救えるのかもしれない。

と、そんな思いが、ふと心によぎった。

───

 

上橋さんが、ホッサルの味方になっている我々読者に、

「本当にそれでいいの?」

と、問いかけてくるようでした。

そういう問いかけは、私たちの人生においても必要だなあ、と思うのです。

 

僕は、清心教医術師の理念を聞いたとき、昔「エホバの証人」という宗教が社会問題になったことを思い出しました。

あの時、「エホバの証人」とは全く理解できない、奇人たちの集団のように思っていましたが、彼らにも清心教医術師の理念のような考えがあったとするなら、そうおかしな集団でもなかったのかなあと、思ったりしました。

 

物事を白か黒かにぶった切るのではなく、黒だと思ったことに、ほんとに黒かな?と考えようとすることは大切だなあと思うのです。

 

「鹿の王」について

ヴァンはこう語ります

「飛鹿の群れの中には、群れが危機に陥ったとき、己の命を張って群れを逃がす鹿が現れるのです。群れの長ではなく、かつては頑健であった牡で、いまはもう盛りを過ぎ、しかし、なお敵と戦う力を充分に残しているようなものが、そういうことをします。私たちは、こういう鹿を選び「鹿の王」と呼んでいます。群れを支配する者、という意味ではなく、本当の意味で群れの存続を支える尊むべき者として」

 

飛鹿乗りたちの「王」に対する概念。カッコいいじゃねえか。

と思わせられるのですが

ヴァンの父親は、

「そういう鹿のことを、呑気に「鹿の王」だのなんだのと持ち上げて話すのを聞くたびに、おれは反吐がでそうになるのだ。弱い者は食い殺されるこの世の中で、そういうやつがいるから、生き延びる命もある。助けられたものが、そいつに感謝するのは当たり前だが、そういうやつを、群れをたすける王だのなんだのと持ち上げる気持ちの裏にあるものが、おれは大嫌いなのだ」

といいます。

 

なにか一つの正解が浮かび上がってくると、すぐさま正反対の考えをぶつけて、本当にそれでいいの?と問いかける姿勢・・・。

おかしいんじゃない?バカじゃない?狂ってるよ。

と思ってる相手を、本当にそうかな?と理解しようとする姿勢・・・。

上橋さん自身がそういう人なのだと思います。

僕もそういう人でありたいと思いました。

君の名は。

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君の名は

 

ついに観ました。

本当はあまり観る気なかったのですが・・・

嫌でも入ってきた事前情報では、僕の好みではなさそうだったので・・・

地上波放送で観ればいいやぐらいな感じで・・・

ツタヤで一週間レンタルになったので、5本千円の数合わせで仕方なく借りて観ました

いやはや、意外におもしろかった。

しかし、ここまで社会現象になる程の理由は、やはりわからないな。

というのが率直な感想です。

 

これ、連続TVアニメにした方がよくない?と思いました。

入れ替わったときのシーン、面白かったのに

ほとんどダイジェストにしてしまってたのが残念で・・・。

映画の尺で、この壮大な話を描こうとしての苦渋の編集だったのでしょう。

映画の尺としては精いっぱいだと思いますよ。

連続アニメにして10話ぐらい入れ替わったときのシーン積み重ねてから

ラスト2話ぐらいでクライマックスシーンを描けば、

あのラストがもっともっと心に響いたような気がします。

今一歩、泣くところまで感情が盛り上がらなかったのは、

あそこ、ダイジェストにしてしまったからではないかと思うので・・・。

 

忘れたくない思い

流れゆく時代の中で、人の心も体も変わってゆく

それが自然であり、変化を前向きに受け止めてゆくのが人生でもある

過去に、いつまでもとらわれていては、前に進めないのだから。

と、思っていても

心のどかかに、変わりたくない、忘れたくない

という思いがある。

そんな、誰しもにあるであろう深層心理を

美しいアニメーションとロマンチックなストーリーで見事に描いているところが

幅広く多くの人の涙腺をくすぐったのではないか

というのが、僕が分析する、精いっぱいの

この作品がここまで社会現象になった理由です。

特に変化を自然に受け入れている大人ほど、

忘れたくない

という思いが眩しくキラキラと心に響いたのではないでしょうか。

 

とはいえ、そういう分析はできても

感情的に僕がそこまで盛り上がれななったのは

類似作品たくさん思いつくし

いや、こういうテーマなら、あっちの方が面白かったよと思う作品たくさん思いつき、

つまりは、特別な驚きや新しさは何も感じなかったという事

と、

僕は、これは少数派という自覚はありますが

人並み以上に過去を振り返らないタイプで・・・。

同窓会とか1度も行ったことないし・・・。

「忘れたくない」というシンプルなテーマがそこまで響かなかったのかな・・

 

 

類似作品について、例えば、

過去に戻って好きな人の運命をかえようとするところは

「バックトゥザフューチャー」的でもあるし

時空を超えてつながる糸という感じは

韓国ドラマ「屋根部屋のプリンス」「九家の書」も面白かったですし

一番、なぜか強く思い出したのが

日本のドラマ「100年の物語」

TBSで2000年に放送された松嶋菜々子主演の3夜連続のスペシャルドラマ

大正から平成までの百年を背景に、ある地方士族の家系を軸にした恋の物語を描く3部作で、特に第3夜の現代編、渡部篤郎との話は最高でした。

 

これがこんな社会現象になるなら、あれだってもっと社会現象になっててもいいのに・・という嫉妬半分で・・

ツタヤ旧作の棚にあるから、借りて観てみてよ、それでも「君の名は」のほうがいいと言われたらもう何も言わないから、というおすすめ半分。

両方観たという人には「どっちがいいと思う?」と語り合いたい少々で。

 

 

まあやはり、アニメ映画というのが一つのポイントなのかな・・。

宮崎駿監督が引退された今

「新海アニメ」というジャンルが

次世代のアニメ映画界を牽引していく事は

間違い無いのでしょう。

 

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ハドソン川の奇跡

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2016年 米 

監督 クリント・イーストウッド

主演 トム・ハンクス

 

名匠クリント・イーストウッド監督がトム・ハンクスを主演に迎え、2009年のアメリカ・ニューヨークで起こり、奇跡的な生還劇として世界に広く報道された航空機事故を、当事者であるチェズレイ・サレンバーガー機長の手記「機長、究極の決断 『ハドソン川』の奇跡」をもとに映画化。09年1月15日、乗客乗員155人を乗せた航空機がマンハッタンの上空850メートルでコントロールを失う。機長のチェズレイ・“サリー”・サレンバーガーは必死に機体を制御し、ハドソン川に着水させることに成功。その後も浸水する機体から乗客の誘導を指揮し、全員が事故から生還する。サリー機長は一躍、国民的英雄として称賛されるが、その判断が正しかったのか、国家運輸安全委員会の厳しい追及が行われる。(映画COM)

 

監督クリント・イーストウッド、主演トム・ハンクスということで

見る前の期待値はそうとうに高かった作品ですが、鑑賞直後の率直な感想は

‟その割にはもう一歩物足りない“という印象でした。

うまくまとまってはいるんだけどな・・・とそんな。

あくまで期待値が高すぎたから、‟その割には“という意味で、決して否定的な意味ではないんですよ。

少なくとも、私的2017年アカデミー賞候補にはノミネートできる作品です。

 

!!!!!!ネタバレ含む領域です!!!!!!

 

はじめは安全委員会が嫌な人たちに見えました。

現場の状況も知らないくせに悪と決めつけ疑い犯罪者扱いしてくる。

しかし機長サリーは、「このやろう‼」と委員会に反発することなく

本当に自分の決断、判断に非はなかったか、と自問自答し続けるんです。

ここがいいです。

単に主人公(機長サリー)正義VS安全委員会、悪

というよくあるハリウッドの‟B級英雄賞賛もの“の図式にしていないんです。

主人公がもしかして悪かもしれない・・

と劇中のサリーも暗中模索しつづけ、観客の私たちもハラハラさせられます。

結局、サリーは自分の判断の正当性を証明することに成功します。

なんだ、やっぱり‟英雄賞賛ものじゃないか“という終わり方・・

 

!!!!!!!ネタバレ領域終了!!!!!!!!

 

だったのが、

鑑賞直後に感じた「もう一歩物足りない印象」の要因だと思います。

しかし、映画鑑賞後しばらく、余韻を楽しみながら内容を反復していくうちに

安全委員会の人たちも、あれはあれで良かったし最善を尽くしたんだ、

と思えてくるんです。

みんなが事故調査に真剣に取り組んだんです。

サリーも、もし誰からもなんの疑いもかけれず、ただ英雄として賞賛されるだけだったら、その後、驕り高ぶった機長になっていたかもしれない・・・。

 

どんなに成功したとしても、結果良ければそれでよしと有頂天になるのではなく、本当にそれでよかったのか?もっと他に良い方法は無かったのか?と、自分の判断を疑い、迷い、検証する謙虚さは必要だな・・そういう人間でいたいな・・・。

 

そんなことを考えさせられた作品でした。

 

そしてそこには監督クリント・イーストウッドの意図的な仕掛けがあるのだと思います。

親鸞  五木寛之

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青春篇上下巻 激動篇上下巻 完結篇上下巻

講談社文庫全6巻読了

 

力強い作品だった。

まともに向き合えば、一生かけても答えの見つからない

まさに禅問答のような堂々巡りの底なしの海に、何度も引きずり込まれそうになった。

引きずり込まれそうになっては、みずからあえて距離をとって、掴まれた手を振りほどき

海面を目指して浮上しようともがく。

そんな作業の繰り返しだった。

正直、ちょっと疲れた。

それだけ、力強い作品だった。

結局、一番強く心に残っているのは

青春篇上巻冒頭、幼少期の親鸞(忠範)が出家して仏門に入る際、河原で知り合った

ツブテの弥七に、石ころと共に送られた言葉

 

───もし、運よく物事がはこんで、自分がなにか偉い者ででもあるかのように驕りたかぶった気持ちになったときは、この石を見て思い出すことだ。自分は割れた瓦、河原の小石、つぶてのごとき者たちの一人にすぎないではないか、と。そしてまた、苦労がつづいて自分はひとりぼっちだと感じたときは、この河原の小石のようにたくさんの仲間が世間に生きていることを考えてほしい、と。弥七はそのように申して、これを忠範さまに渡すようにと頼んで消えました。そうそう、もう一つ。なにか本当に困ったときには、どこか

にいる名もなき者たちにこの小石を見せて、弥七の友達だといえばいい、と────

 

五木さんの作品には全体的に〝驕りたかぶり〞を戒める気配がある。

人は質素に、つつましくあるべきだという、その考え方は、少なからず僕の人生観に影響を与えた。

日本のサラリーマン社会に生きていると、

『目標を立ててそれを達成すべし』

『昨日より今日、今日より明日、と日々少しでも成長すべし』

と、口酸っぱく言われ続け、僕もそのように生きた。

前を向いて前進し続けなければ、そういう努力をしない者は人間にあらずという扱いを受け、いつしか、自分もそう思うようになる。

若手社員を『あいつらの世代はつかえない』などと思ったり、実際口にしたり。

それは『驕りたかぶり』につながるのではないか。

では、この書にもある『他力本願』とはなにか。

なにかを自ら望み、努力し、叶えようとすることはいけないことなのか。

そんな堂々巡り。

 

もっとたくさん・・・書き出したら果てしない長文になりそうなので、

今回はこれ以上語りません。

そんな堂々巡って、冒頭のあの弥七の言葉に戻るわけです。

 

天空への回廊  笹本稜平

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───エベレスト山頂近くにアメリカの人工衛星が墜落。

雪崩に襲われた登山家の真木郷司は九死に一生を得るが、親友のフランス人が行方不明に。真木は親友の捜索を兼ねて衛星回収作戦に参加する。

ところが、そこには全世界を震撼させる、とんでもない秘密が隠されていた───

(光文社文庫カバー裏より)

 

この人工衛星のとんでもない秘密──

前半4分の1も読んでないあたりで、あっさり明かされます。

「えっ!いいの?」と思っているとまた新たな秘密が現れ、それがまたあっさり明かされ、また新たな謎が生まれる・・という具合に非常にテンポよく、読む手を休ませてくれません。結局最後まで一気読み。久しぶりに楽しいひと時を過ごしました。

しかし───

残念なのは世界を大きく広げすぎなところ

某ハリウッド映画「アル〇ゲ〇ン」を思い出してしまいました。

一人の登山家の手に世界の命運がかかっているとか

大統領との通信とか

せっかく山岳小説としてはとてもリアルに描かれているのに

冒険小説的部分が話広げすぎてかえってチンプな印象に・・・。

主人公の真木郷司の人物造形も深みがなく、(若い設定であえてかもしれませんが)

いちいちアメリカの体制に突っかかる感じは、どうも好きになれませんでした。

結局は、「怒涛の展開」だけに

力が注がれた作品のような気がします。後に残るものは何もない・・・

されど

読んでいる間の一時でも楽しい時間を過ごせる作品というのも、なかなか貴重です。

時間と金を返せと思う作品もごまんとありますから。

そういう意味でも本作は、極上のB級エンターテイメントとして

それなりに楽しめる作品だと思います。

 

あとは、みなさんが

人生観・価値観を変えるような新しい発想。

こんな人になりたいなあ、とマネしたくなるようなキャラクター。

心震える言葉や思い。

を見いだせればA級、S級作品になると思いますが。

そういうものが僕には見いだせなかったのでした。

楽園のカンバス  原田マハ

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マハさん作品読むの2作目です。

1作目は「本日は、お日柄もよく」で感想はイマイチ。

結論から言いますと本作品のほうが断然よかったです。

あくまで僕の好みですが。

 

ニューヨーク近代美術館のキュレーター補佐、ティム・ブラウンはスイスの大邸宅に招かれる。そこで見たのはルソーの名画「夢」に酷似した絵。持ち主は正しく真贋鑑定した者にこの絵を譲ると告げる。ただしX線調査などはせず、ある古書を読むことによって判断せよというものだった。7章からなる古書を1日1章づつ読み7日目に講評をして決めると。ライバルは日本人研究者、早川織絵。

 

ジャンルで言えばミステリー小説ということになるのでしょうか

美術ミステリー。

ある1枚の絵についての真贋の謎を解く話ですから

その絵の持ち主の富豪は都市伝説的謎のベールに包まれた名画コレクターだったり、

その絵を手に入れようとつけ狙う謎の勢力が接触してきたり、

殺人事件こそ起きないけれど、スリリングな極上ミステリーと言えるでしょう。

殺人事件が起きない

という事がまず僕にとっては大きな価値ある作品です。

僕は殺人事件ミステリーが極端に嫌いです。

本に限らず、映画、ドラマのジャンルにおいても殺人事件ミステリーは生まれてから

これまでまともに見たことがないといっても、過言ではありません。

これはもう生まれつきの体質といっていいでしょう。

後付け的に理由を考えるなら

謎解きゲームのために人を殺すのが(作家目線で考えて)とても

不謹慎な気がするからです

ましてや女子大生が温泉につかりながら楽しげに殺人事件を推理する話なんて

聞いただけで受け付けません。

 そういう観点から本作は

殺人事件のない数少ない気品に満ちたミステリー小説だと思います。

 

恋愛ドラマとしても、なかなか奥ゆかしさがあって好きなタイプの話です。

ルソーという画家の極めて限定的な専門研究者であるティムと織絵。

途中の見解を話し合いたいのは山々

しかし大っぴらに手の内を明かすわけにはいかない

立場は真贋鑑定のライバルですから。

スイス、バーゼルの夜の街並みを散歩したり

動物園で気晴らししたりしながら、ぽつぽつと話し合う中で

研究者として、人として通じるものがある。

直接的な恋愛的行動はありませんが

それが余計にエロティックでもあり

大人の静かな恋愛が素敵に描かれていると思います。

 

 

また古書に描かれている話はルソーと「夢」に描かれている裸婦のモデルである

ヤドヴィガの話。

はじめは「謎の古書」と言う割には子供の絵本のような語りくちに

?と違和感を感じましたが

こちらもパリの下町を舞台に人妻ヤドヴィガと老人ルソーの微妙な関係がまさに「夢」のごとく叙情感たっぷりに描かれ、後半はその絵本的で稚拙な物語にすっかり引き込まれ

最後は胸を打たれました。

 

というわけで私的評価 星3.5点(5点満点)

 

人それぞれ本に求めるものは違うと思いますが

僕はテーマ性というか新しい価値観、人生観を揺るがす何か

を求めるところがあり

その点はあまり感じるものがなく、若干物足りないところでした。

 

殺人事件ミステリー好きの方々へ

 

気を悪くされたら申し訳ありませんでした

好みは人それぞれということ

重々承知の上で

せっかくこういうグループなので

好みを語らせていただきました。

 

昨今のエンターテーメント業界、殺人ミステリーの席巻が目立つことに

アンチ派としてちょっと物申したい気持ちもあって・・

まあ、弱小派閥の負け犬の遠吠えと思ってください。