takeの感想文マガジン

映画・ドラマ・アニメ・読書・の感想・レビューを綴るブログです

ONCEダブリンの街角で

 

f:id:take-yutaka:20180113021649j:plain

公開 2006年 アイルランド

監督 ジョンカーニー

 

ある日、ダブリンの街角で、男と女が出会う。男は、穴の空いたギターを抱えたストリートミュージシャン。女は、楽器店でピアノを弾くのを楽しみにしているチェコからの移民。そんな2人を音楽が結びつけた。彼が書いた曲で初めてのセッションに臨み、意気投合する2人。次第に惹かれあうものの、彼らは互いに断ち切れぬ過去のしがらみを抱えていた。もどかしさを胸に秘めたまま、2人の気持ちが揺れ動いていく…。

(アマゾン商品紹介より)

 

冒頭から主人公の男の歌声に引き込まれます。

僕はなんの予備知識もなく観たから余計にそうだったのかも知れませんが。

後から知りましたけど、本物のミュージシャンのようで。

ちょっとしゃがれた感じの声が好みです。

テクニックよりもパッションに訴える感じは監督の演出なのかな?

彼のミュージシャンとしてのもともとのスタイルはどうなのか気になりますが。

 

花売りの女との微妙な関係も僕は好きです。

すぐに好きだの、愛してるだの言ってキスしてHして・・そんな直説的な恋愛より

惹かれあいながらも、何もハッキリしたことは言わないし、

気持ちはお互いに「もしかして?」と感じるものはありながら、

簡単にはくっつけないそれぞれの事情も背負っている関係。

ドキドキするし素敵じゃないですか~。

お互いに「ああ言ったら、こう思われるかな」あれこれいろいろ考えて

結局何も言わない。(直接的な事は)遠回しには結構ドキリとすることも言っていて、

そこがまたハラハラドキドキでいいし。

若いときはそれは「意気地なし!」ともとられるけど

大人になれば当然いろんなしがらみも抱えてるわけで

それを思いやって、あえて何も言わないという選択も十分にありでしょう。

 

 

!!!以下結末のネタバレあり!!!

 

!!!これから見ようと思ってる人はこの下、進まないでください!!!

 

 

 

 

 

 

結局、なにも始まらないまま終わってしまうのが物足りなく感じる人も多いでしょう。

僕はこれでいいと思います。

「お茶していく?」

がドキドキする時代がイイんです。

この作品はまさにそういう関係を描いていると思います。

あえて何も始まらない関係がイイじゃないですか。

 

 

「ONCEダブリンの街角で」「はじまりのうた」「シングストリート」

ジョンカーニー3作品、どれもよかったですけど

僕はこれが一番好きです。

 

PS。主演の二人。リアルでは結婚したようです。

オーケストラ!

f:id:take-yutaka:20180106012243j:plain

公開 2009年 フランス

 

劇場清掃員として働くさえない中年男アンドレイ・フィリポフ(アレクセイ・グシュコブ)は、かつてはロシア・ボリショイ交響楽団で主席を務めた天才指揮者だった。

彼は、共産主義時代、“ユダヤ主義者と人民の敵”と称されたユダヤ系の演奏家たち全員の排斥を拒絶し、名声の絶頂期に解雇されたのだった。

ある日、清掃中にアンドレイは、1枚のFAXを目にする。それは、演奏を取りやめたサンフランシスコ交響楽団の代わりに、パリのプレイエルに出演するオーケストラを2週間以内に見つけたいという内容だった。その瞬間、彼は、かつての仲間を集めて偽のオーケストラを結成、ボリショイ交響楽団代表としてパリに乗り込むことを思いつく。

(アマゾン商品紹介より)

 

ごくたまにひどい駄作と思って観ていて、

何度も途中挫折しそうになりながら我慢して観ていたら、

ラストのラストでひっくり返る作品がある。

この映画もそんな作品だ。

 強引な展開に、ドタバタとまくしたてるセリフ。

団人たちは結局最後まで練習一つしないで勝手な事ばかり。

一応コメディ映画のつもりらしいが、ほとんど笑えない。

クライマックスの演奏会のシーンが始まっても

いくら息の合った昔なじみのメンバーだって

30年のブランクがあって1度のリハもなしで

急に最後に奇跡的なハーモニーを演じるなんて・・・、

おとぎ話にも程がある。

もはやこれはひどい駄作と冷めた目で鑑賞。

しかし、演奏も中盤に差し掛かると・・

音楽の力には抗えないのか、ぐいぐいと引き込まれ、

登場人物たちの人生が走馬灯のように流れ込んできた。

結局この作品は

演奏と演奏が終わった後のアンヌ・マリー(メラニー・ロラン)の表情で

すべてを物語っている。

それまでの99%はそのラストシーンの一瞬のための前振りだったと思わされる。

まさにオーケストラ!

音楽はどんな言葉をも超越する

という映画だった。

17歳のエンディングノート

f:id:take-yutaka:20171228052218j:plain

公開 2012年 英

出演 ダコタ・ファニング ジェレミーアーバイン

 

白血病と医者に宣告された17歳の少女テッサ(ダゴタ・ファニング)は、

残された時間を人間らしく生きる「尊厳死」を選択し、あらゆる治療法を止め、

「セックスをする」「ドラッグをやる」「法律を破る」と死ぬまでにしたい【TO DO リスト】を作り上げ、友人のゾーイと共にそれを実行していく。
娘の奇行になすすべなく困惑する父親。

現実を受け止められず娘の看病すらできない母親。

「お姉ちゃんが死んだら旅行に行こうよ」と無邪気な弟。

そんな家族をよそに、一見、気丈に振舞っているテッサだが、

心の中は絶望と死への恐怖が支配していた。
そして、テッサの前にひとりの青年アダムが現れる。

 

ようするに

白血病の主人公が、死ぬまでにしたいことリストを作って実行し、恋をして、精いっぱい生きる話で、まあありふれた「病気お約束もの」です。

「スイートノベンバー」「死ぬまでにしたい10の事」「最高の人生の見つけ方

「セカチュー」「ノッキン・オン・ヘブンズドア」「僕とアールと彼女のさよなら」

類似作、多数思いつきますが

そんな中で、とりわけ僕の心に残っているのがこの作品です。

 

本作が他の類似作と一線画すのは、

冒頭から化学療法も放射線治療も諦め、(ふつう治療方針をめぐる周囲の人との葛藤がクライマックスになるのですが)家族も本人も死を受け入れ、かなりの終末期に入っているところです。

それをまだ僕のイメージの中では「アイアムサム」の印象が色濃く残るあの

ダコタ・ファニングちゃんが演じているのが驚きです。

「あら大きくなったね」と思ったら、17歳にして不治の病を受け入れ

死と向き合う役どころですから、かなりインパクトありました。

冒頭から、かなりリアルに治療シーンが描かれ、まさに闘病している姿はなかなか衝撃的です。

こういう病気の話はラストは死ぬにしても

前半から中盤にかけては楽し気に、気丈にふるまい、死を感じさせない描き方をするのが一般的ですが。

この作品の主人公テッサは

口では死を受け入れているようなことを言っていますが、

本当は怖くてつらいのに、必死に死を受け入れようと暗闇の中でもがいている

悲壮感をあえて隠さずに描いています。

冒頭から終始、かなりリアルに死と正面から向き合っているんです。

決して楽しい映画ではありません。

 

ストーリーはなんの変哲もありません。

興ざめするようなシーンも少々あります。

特にアダムが町中にテッサの名前をペインティングで落書きするところ。

病院から帰ってきたテッサ達は車の中から観て「わ~」と感動していたようで、

監督の意図としても、お涙誘ってるシーンのようですが

僕は「おいおい、そりゃあダメだろ」と冷めた目で突っ込んでしまいました。

f:id:take-yutaka:20171228052401j:plain

しかしアダムもまた辛く、暗闇の中でもがいているのかと思えば、情状酌量の余地はありますが。

 

とにかくこの作品はダコタ・ファニング演じるテッサが死と向き会う姿を

かなりリアルに描いているところが心に響きます。

 

僕も40代半ばになり、近親者の死もいくつか乗り越えてきました。

自分自身の死について、切実に考える事も多くなりました。

本当に自分に「その時」が来たら、

果たしてこの物語のテッサのように向き合えるだろうか・・・

17歳の少女にできるんだから、自分も負けちゃあいられない・・

と、へんな勇気をもらいました。

 

 

もっとも印象深いのが最期の看護師との会話です。

「この後どうなるの?」

と、終末期の症状と死に至る過程の説明を聞くシーン

看護師も看護師でなんの希望的余地もはさまず

死に至るまでの過程の症状を淡々と語ります。

テッサはそれを冷静に聞きます。

ただ、そのあとしばらくたって一人になったときに・・・

f:id:take-yutaka:20171228052558j:plain

隠し剣 鬼の爪

f:id:take-yutaka:20171221013108j:plain

公開 2004年

原作 藤沢周平

監督 山田洋次

出演 永瀬正敏 松たか子 小澤征悦

 

たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」「武士の一分」と続く藤沢周平時代劇三部作の1つです。みんな似たような話、似たようなテーマで、どれが好きかというのは結局、出演している俳優さんの好みではないかという気もしますが・・・。

僕は断トツでこの「隠し剣 鬼の爪」が好きです。

永瀬正敏ズーズー弁がイイんです!!

永瀬正敏と言えばおしゃれでクールでニヒルなイメージが強かったのではないでしょうか?今でいう松田龍平的な感じ?同じような探偵ものやってたし・・・。

しかし僕はそのイメージの彼はどちらかというと嫌いな部類でした。

嫉妬半分もあって「ケッ!」っと思っていました。

本作ではファッションにまるで無頓着、東北のズーズー弁丸出しの、

しかし素朴でまっすぐで温かみのある田舎侍、片桐宗蔵を見事に演じています。

永瀬正敏やるじゃないか」とそれまでのイメージを180度見直しました。

奉公人のきえを演じた松たか子もまたイイんです!!

冒頭、きえ(松たか子)は明るく気立てのいい片桐家の奉公人でした。

しかし間もなく商家に嫁いでいきます。

3年後というテロップが出て、町の店先で偶然再会する宗蔵ときえ。

宗蔵「きえは、幸せだか?」

きえ「はい」

ここまで開始から約10分。早くも涙が・・

このシーン例えば、きえ役がりえちゃんだったら、もっとジットリした感じになっていたでしょうし、檀れいならさっぱりしすぎていたんじゃないでしょうか。

松たか子の絶妙な演技の「はい」なんですね、これが。

きえが、どうやら嫁ぎ先の商家でいじめられ病に伏せっていると聞いた宗蔵は

商家に乗り込み

「きえはどこだあ!案内せい!」

冒頭20分で2度目の涙が・・・

それまで穏やかで優しかった宗蔵が毅然とした強さを見せたイイシーンでした。

f:id:take-yutaka:20171221013317j:plain

f:id:take-yutaka:20171221013336j:plain

この作品は片桐宗蔵ときえのラブストーリーがイイのですが

一歩間違えば、ジトジトしたメロドラマになるところ、永瀬正敏松たか子の絶妙な演技の兼ね合いでうまくすり抜けているのです。

批判的な意見としては、武士が商人の家に乗り込んで嫁をさらうなどあり得ない!

特に藤沢周平原作のファンからすると映画シリーズは全体的にファンタジック!

きえとのシーンがファンタジックなのにたいして、狭間(小澤征悦)とのシーンは冷静なのが矛盾している!

という声もあるようです。

小説も少々は読んだことあります。確かに救いようのないエグさやシュールさがあります。ただ、映画としてはこのぐらいでいいのではないでしょうか。

原作のシュールさが全く消えてるわけじゃないし。

きえに対しての行動と狭間にたいしての宗蔵の行動が、矛盾しているとも思いません。

冒頭で意気揚々と江戸に旅立っていった狭間は

幕末の尊王攘夷の気風に感化され謀反の罪人として帰ってきます。

しかし囚われていた牢を脱獄し旧友で剣術の同門である宗蔵に狭間討伐の命が下ります。

 

f:id:take-yutaka:20171221013548j:plain

私腹を肥やす家老堀を演じた緒方拳もさすがの悪役ぶりです。

そんな家老の命に従い、友を殺すバカバカしさ

そう思いながら藩命とあらば従うのが侍としての本分という信念。

宗蔵は、その自分の信念に従って狭間との決闘に挑んだのだと思います。

最期に侍を辞めてきえの家に向かった宗蔵の行動になんの矛盾もないのです。

変わりゆく時代の流れと旧体制の間で揺れる幕末の侍の葛藤もしっかりと描かれているし、確かにまっすぐな行動をする宗蔵ではあるけど、それはけっして若さからくる青臭さではなく、ある程度人生の機微を、むなしさを知った上で、あえてまっすぐに生きようとする姿であり、そこには原作のシュールさもきちんとあって、決してファンタジックな、ただのメロドラマではないと思います。

そんなストーリーうんぬんというよりも、

とにかく永瀬正敏演じる宗蔵の素朴でまっすぐな言葉と行動が心に響きました。

素直に思ったことを口にし、行動する生き方も悪くないなあと思わされたのでした。

 

ジョゼと虎と魚たち

f:id:take-yutaka:20171213015334j:plain

公開 2003年

監督 犬童一心

原作 田辺聖子

出演 池脇千鶴 妻夫木聡 上野樹里

 

大学生の恒夫(妻夫木)は、一見爽やかな好青年だが、同じ大学の香苗(上野)と付き合いながら別のセフレもいて、チャラいキャンパスライフを送っていた。そんなある日、雀荘のバイトからの帰り道、乳母車に乗って祖母と散歩するのが日課の自称・ジョゼこと、くみ子(池脇)と知り合う。くみ子は足が悪いというハンディキャップを背負っていたが、自分の世界を持つユーモラスで知的な女の子だった。そんな彼女に恒夫はどんどん引かれていき、くみ子も心を許すが、ふたりの関係は永遠ではなかった。

(アマゾン商品紹介より)

 

 

前回観たとき(たぶん2005年ごろ30代半ばだったかな)もうちょっと良かった印象があるんですけど、今回、12年の時を経て見返してみて、かなり僕の中での評価が下がった作品です。(下がったといってもSS級からA級ぐらいにという意味)

 とにかくブッキー演じる恒夫が薄っぺらい。

もちろん意図してそういう役どころで、一昔前のリア充大学生というのでしょうか。前回観たときもチャラい薄っぺらい奴と思って観てましたけど、まだ、時折見え隠れする悪い男の影に魅力も感じたのですが・・

(こういう役はこの頃から上手く、のちに「悪人」などでブッキーのはまり役として開花した?)演技としてはなかなか上手いと思いますけど、そういう頭で考える評価とは別に、感覚としてなんか愛せない、温かく見守れないのでした。

なんだろう・・オヤジになったのかな・・。

 

池脇千鶴が演じるジョゼのキャラクターも

前回はこの作品の最大の魅力だと思ったのですが・・・。

下半身麻痺の障害を持ち、一緒に暮らす祖母からは「障害は恥」「身の程をわきまえて家の中でこっそり生きろ」と言われ、それを受け入れて生きてきたジョゼ。

押し入れの中でゴミ捨て場から拾ってきた本を読むのが唯一、彼女の世界だった・・

という設定は面白く、

ただ、そのせいもあって、卑屈いうか、愛を知らないというか、わがままで

独特の関西弁と合わさって、典型的な「ツンデレキャラ」として

前回は魅力的に感じたのでしょう。

しかし今回よくよく見てみると、どうも思いやりにかけるのが気になり、

その「ツンデレキャラ」も薄っぺらく感じてしまいました。

 

ただ、その薄っぺらく観る見方が実は正しい見方ではないか?・・とも思えます。

そんな二人の薄っぺらさがほろ苦く、もっとも印象的だったシーンは

 

!!!ラストシーンのネタバレ含みます!!!

 

 

恒夫の両親にジョゼを紹介しようと、大阪から博多の実家へ、

友達の車を借りて出かたシーンです。

 

ドライブインでトイレに行こうとジョゼをおんぶしながら、

 

恒夫「車いす買おうよ」

ジョゼ「いやや。車いすなんかなくてもかまへん。あんたがおんぶしてくれたらすむがな」

 

この時、恒夫はきっと・・ジョゼの人生までは背負えない・・

と思ってしまったのでしょう。

(投稿した写真のシーンです。ブッキーの顔、本気で嫌そうでしょ?)

ジョゼがトイレに入っている隙に「やっぱり行けなくなった」と実家に電話をかけます。

ジョゼはそれは知りませんが、恒夫の雰囲気から感じるものがあったのか

車に戻り、しばらく黙り込んでから、唐突に「海へ行け」といいます。

それで、二人は博多にはいかず、どこかの海へ行き、ラブホに泊まって帰ります。

 

その後数か月付き合って別れるという話です。

 

これはようするに「若気の至り」を描いた作品です。

若さゆえのほろ苦い恋の話です。

誰もが通過してきたであろう大人への通過儀礼

恋をしてHして、でも結婚とか将来とか意識すると途端に尻込みして

なんの覚悟も責任も背負いたくないという感じを痛切に描きながら

でも、そういう苦い思いの経験があってこそ

大人への階段をステップアップできる

と言っているように思いました

 

ジョゼが電動車いすで一人颯爽と走っていく姿を映したラストシーンは、

きっとジョゼも次はいい恋ができるだろうと思わせてくれます。

 

f:id:take-yutaka:20171213015448j:plain

 

Amy エイミー

f:id:take-yutaka:20171206010228j:plain

1997年 オーストラリア

 

エイミーワインハウスの映画AMYもいいですが

これは8歳の少女Amyエイミーが主人公の話です。

 

エイミーは4歳の時にミュージシャンである父親を亡くし、

それ以来言葉を失ってしまいます。

母タニアは様々な専門医や精神科医にエイミーをみせて治療を試みますが、

医学的な異常は見られないと診断されます。

タニアは女手一つで必死にエイミーを育ててきましたが、

児童福祉施設の役人はエイミーを障害者施設に入れようと迫ってきます。

そんな福祉施設の役人から逃れるためタニアとエイミーはダウンタウンに引っ越します。そこに暮らしているのは一癖も二癖もある変人たちです。

しかし、向かいに住むロバートの歌声に引き寄せられたエイミーが一緒に声を発したのをきっかけに、なぜか歌声にだけ反応する事が判明します。

f:id:take-yutaka:20171206010538j:plain

エイミーとコミュニケーションを取ろうと住人たちはみな

言葉にメロディーをつけて話し出す異様な光景が町中に広がるようになり・・・

町の人たちと、エイミーが少しづつ変化していく・・というような話です。

f:id:take-yutaka:20171206010615j:plain

 

この話、心に傷を背負った片親の親子が児童福祉施設に引き離されようとされながらも、近隣住人との交流によって傷を癒していくという、コテコテベタベタなストーリーですが

そんなベタさを超越してなぜか心に残る作品です。

 

主題曲のお父さんとエイミーが歌う「You&Me」が印象的なのも大きいですが

(ニック・パーカー&アラーナ・デ・ローマ)

f:id:take-yutaka:20171206010646j:plain

 

とにかくエイミーの透き通るような声がいいです。

エイミーが声を出すだけで何もかもを超越してなぜか泣けてきます。

後付けで分析してみますと

はじめから悲壮感が全然ないところがイイのでしょう。

母のタニアはいかにも生活に疲れている様子で何かとイライラしているのに

対照的にエイミーは言葉は発しませんが、草原を走り回ったり、鳥や虫を捕まえて目を輝かせたり、笑顔をよく見せています。

ロバートとの交流で中盤披露するようになる歌声の、なんて上手な事。

この歌も決して悲壮感なく、嬉々として楽しそうに歌うんです。

しかし我々観客はエイミーがなぜ言葉を失ったのか、その理由は冒頭から知っているわけですから・・・エイミーが楽しそうであればあるほど泣けるんです。

f:id:take-yutaka:20171206010443j:plain

そしてラスト

エイミーがそんな思いを背負っていたのかと一気に叫ぶシーン・・

なんとなくわかっちゃいたけど・・・

こんな小さい体で、気丈に振舞って・・・

と涙がぽろぽろ止まりませんでした。

 

ロバートの優しさがイイ

ロバートは向かいの家の住人で昼間から仕事もしてる様子無く

ゴロゴロとギターを奏で吟遊詩人気取りの皮肉屋です。

一人家で留守番してるエイミーが彼の奏でる歌に引き寄せられて

一緒に歌い始めたことを機に、翌日、家にこもって一人留守番してるエイミーを

優しく歌で誘い出して公園に連れていきます。

たったそれだけなんですけど・・。

f:id:take-yutaka:20171206010906j:plain

彼が初めから優しげな人でなく、偏屈な皮肉屋だったのが効いているんです、きっと。

しかしこのロバート、現実の日本人の大人だったら典型的な離婚されるダメ男ですよ。

 

他の住人たちもみんなもっとダメな奴らばかりで、はじめはこんなところで子供を一人留守番させるなんて、児童福祉施設に連れていかれても仕方ないと思うような場所と近隣住人達でした。

しかしそんな連中にも一つ二つはいいところはある。

ダメなところがあるとすぐに切り捨てる、そんな傾向はよくないなあ。

そんな思いにさせてくれて、優しい気持ちにさせてくれました。

f:id:take-yutaka:20171206011014j:plainf:id:take-yutaka:20171206011151j:plain

f:id:take-yutaka:20171206011322j:plainf:id:take-yutaka:20171206011356j:plain

リアルな現実はそう甘くもないだろうけど・・

唯一最後のおめでたい感がちょっと・・・です。

エイミーが街に戻ってきて、みんなに向かって言うセリフで

暗転 ENDでよかったなぁ。

 



寝盗られ宗助

f:id:take-yutaka:20171126024021j:plain

公開 1992年

原作 つかこうへい

監督 若松孝二

キャスト 原田芳雄 藤谷美和子 筧利夫

 

今まで観た邦画ベスト5に入る作品です。これぞまさに隠れた名作です。

 

旅一座の座長、北村宗助(原田芳雄)と、その看板女優、レイ子(藤谷美和子)と、

団員達との人情話です。

 

座長の宗助とレイ子は一応内縁関係です。しかし映画のタイトルから想像できるそのままに、団員達に何度も寝取られるのですが、怒りもしません。

宗助は、言動は粗暴でガサツです。あの原田芳雄がまだギラギラしていた時代の作品ですから。しかし、バカが付くようなお人好しです。

 重い腎臓病になった団員のジミー(筧利夫)には、家族でもないのに腎臓を提供しながらも、レイ子を寝取られ、あげくに駆け落ちする際のお金まで工面してやります。

宗助はレイ子に愛がないわけじゃないんです。

「くっついて別れるのに十分な時間をやるから必ず帰ってこい」

と言って、手を振って送り出すんです。

レイ子もジミーを本気で好きなわけじゃないのは明らかなんです。

レイ子が団員たちと、ちょこちょこと浮気を繰り返すのは、団員たちを家族のように大事にする宗助の気持ちを、もう少し自分に集めたい一心からです。

宗助も、そんなレイ子の気持ちは十分理解しています。だからこそ怒りもせずさせるがままにしています。

レイ子も、そういう大きな度量の宗助だからこそ愛していて、他の浮気相手など初めから、本気にはしていません。

宗助は自分の態度が、男としてはダメだともわかっていて、最終的にはレイ子との結婚を決意するのですが・・。

f:id:take-yutaka:20171126024202j:plain

 

この作品、公開されたのが1992年ですから約25年前です。

僕が初めて観たのは20代前半で、当時の僕にはかなりインパクトのある作品でした。

この宗助役の原田芳雄がめちゃめちゃかっこよく思えました。

寝取られても怒らず、お金まであげちゃう懐の広さ、人間の大きさが、

カッコイイ大人の男に思えました。

自分もこんな人間になりたいと、人生観に大きな影響を与えられました。

ただ、レイ子の気持ちは、昔見たときは今一釈然としなかったんです。

上記した内容の感じがなんとなく「そうかなあ」とは思っていたのですが、本当にそうなのかなあ・・女心はわからんからなあ・・みたいな事で。

 

今回40代半ばになって見返してみてると、そこはかなりハッキリしています。

上記した二人の気持ちはほぼほぼ間違いなく、「・・かなあ?」ではなく、

複雑な、一筋縄ではない男女の関係と思っていたのですが、

いやいやなんの、結構わかりやすくシンプルに描かれています。

 

実際、ある程度生きてくると、こういう男女は結構いるし。

まあ、めんどくさいカップルですよ。

結局、そんな二人の関係をどうとらえるかでこの映画の賛否は分かれると思います。

 

宗助の気を引きたくて浮気を繰り返すレイ子は、結局、毎回相手の男に本気はなく、ほどほどに戻ってくるにしても、相手の男たちは本気になっているようで、もてあそばれて捨てられるのですから、相当な悪女ともいえます。

f:id:take-yutaka:20171126024106j:plain

 

宗助も、団員たちを家族のように愛し、自分の女を寝取られても怒らないのは、

「度量の大きさ」とも受け取れますが、やはり一線を越えさせてはいけないし、

そうさせてしまうのは、「男としての甲斐性の無さ」とも受け取れます。

 

僕は、昔観たときも今回観たときも、宗助の「度量の大きさ」に心惹かれました。

それは原田芳雄の風貌と演技力によるところが大きいというのもありますが・・。

 

終盤、女装した原田芳雄が、越路吹雪の「愛の賛歌」を歌うシーンは圧巻です。

f:id:take-yutaka:20171126020656j:plain