takeの感想文マガジン

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海峡 伊集院静

 

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───少年にとって、父はそびえる山だった。母は豊かな海だった。

土木工事や飲食店、旅館などで働く50人余りの人々が大家族のように寄り添って暮らす「高木の家」。その家長の長男として生まれた英雄は、かけがえのない人との出会いと別れを通して、幼い心に生きる喜びと悲しみを刻んでゆく。瀬戸内海の小さな港町で過ごした著者の懐かしい幼少時代を抒情豊かに描いた自伝的長編小説。

「海峡」「春雷」「岬へ」と続く3部作の第1部───

 

大人になるにつれて、時間がたつのが早く感じる、という話をよく聞きます。

僕もまったくその通りです。

1日はおろか、1週間があっという間に過ぎ、あれよあれよと季節が変わり・・・

2~3年前なんて、ついこのあいだのように感じます。

それは大人になるにつれて五感のアンテナ感度が鈍っていくせいではないでしょうか。

 

この作品はまず、その五感をフルに使った情景描写がすばらしいです。

主人公の高木英雄は10歳の少年。その少年の目線で実に多彩な角度から情景をとらえていきます。

海峡の流れの描写から始まり

燕の巣を作ったり、大空を舞う鳩を追いかけたり、高木の家の中央にそびえる柳の木の葉の音に耳をすましたり、雲を人の姿にみたてたり、風の流れを読んで紙飛行機を飛ばしたり、虫を追いかけ、季節の匂いを感じ、野球選手のサインボールを見せる見せないで喧嘩したり・・・。

とっくに忘れ去っていた幼少期の感受性が呼び覚まされました。

僕も幼少期には、こういう感覚が確かにあったんです。

アリの巣をつついたり、メンコ、ベーゴマ、夏にはセミを捕まえたり、クワガタを捕りに行ったり、沼にはいって泥だらけになりがら夢中でザリガニを捕まえたり。

懐かしさと共に、失っていた心の感受性の大切さに気付かされました。

僕はこの話に出てくるような昭和(・・・)の(・)子供(・・)ギリギリ最後の世代(S47生)ではないかと思います。

4歳下の弟がいますがその弟はファミコン世代で、もうザリガニなんか獲ったことないといいます。

もう少し若い世代の人たちにはこういう経験はさらさらないでしょう。

だから悪いとか、今の子供たちは可哀そう・・・なんていう気はありませんが

ああいう幼少期を過ごせたことは宝物ような日々だったと思います。

 

高木英雄の父、斉次郎はほとんど家にいません。

だから英雄は周囲の大人たちからいろいろなことを教わります。

これがまたすばらしいんです。

この作品はサスペンスも、入り組んだ伏線も、大どんでん返しもありません。

全体的な評価としてはやや間延びしていると言えなくもないです。

世間一般的な人気がいまいちなのも、そのせいではないかと思います。

ただ、主人公の英雄が出会いと別れを繰り返し、ほろ苦エピソードが淡々と語られていき、その都度、大人たちが助言をくれるんです。

この助言が力強く心に響きます。

僕はこの作品読んだの、今回で2度目です。

最初に読んだのは文庫化された直後(平成14年)だから、もう15年前の事。

誰の助言が一番心に残ったか・・・前回と今回では少し違っていました。

この助言の数々、すべて紹介したいぐらいですが、まあ作品の肝なのでそこは読んでのお楽しみということで。

 

今回1番心に響いたサキ婆の言葉だけ紹介します。

「英坊ちゃん、人間はちっぽけなもんですぞ。ちっぽけじゃから大きい気持ちで生きて行かんといけません。あの山みたいに大きゅうにね。絵を描くことも大事でしょうが、もっともっと大事なことがありますぞ。それは生きて生きて生き抜くことです。山の爺さまが言っとったでしょう。いつも誰かが見とるって。サキ婆も遠い国へ行っても、英坊ちゃんを見とりますぞ」

 

この物語のテーマは、とにかく生きろというこではないかと思います。

人間生きていれば、つらいことや、悲しいこと、寂しいことはたくさんある。

そうであっても結局生きるしかない、ということではないか・・・と。

 

 

すっかり忘れていたけど・・・

キャッチボールの仕方、泳ぎ方、自転車の乗り方、逆上がりの仕方、

すべて父親が教えてくれたんだったな・・・僕の場合。

 

 

 

 

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