「戒厳令の夜 上・下」 五木寛之 読書感想
初版 1980年 3月 新潮文庫
あらすじ
元美術史学徒で今は二流の映画ライターをやっている主人公の江間。
とある映画祭の取材の帰りに、ふらりと訪れた福岡の酒場で
そんなところにあるはずもない幻の名画を発見する。
福岡に在住する元右翼の重鎮で美術コレクターでもある鳴海を訪ね
その絵の真贋について意見を求めると、鳴海の意見もそれは間違いなく
その画家のものだという。
その画家の絵はおそらくかつてナチスに搾取され
約150点の作品群と共に行方知れずになっていたもの。
ナチスに搾取された美術品が、同盟国だった日本に流れたという可能性はある。
鳴海の個人的要請によって、江間は映画ライターの仕事を辞して、本格的にその絵の流通経路と他の150点の作品の行方を調べることとなる。
そして浮かび上がってくる、国家的政治汚職事件との関係。
とこの辺りまではイイのだが・・・。
恩師である大学教授の謎の自殺。その娘、冴子とのロマンス。
黒幕大物政治家の妨害。カーチェイス。
終盤は自衛隊と元右翼の重火器戦闘。
さらには元々の持ち主である、南米チリの社会主義革命も絡んできて・・・。
と、そんな話。
この時代に流行った角川映画のような、ド派手に話を広げた一大スペクタクルでエンターテーメントなストーリー展開。
と思ったら映画化もされているよう。
全く観たことも聞いたこともなかったけれど・・・。
う~ん。ちょっと観たい気もするけど
まあ今は、本の話。
一大エンターテーメントな外側ストーリーは、今となってはいささか古さを感じるが・・・。
それと同時に、内側ストーリーとして作者の他作品でもたびたび見かける一大テーマであろう日本古来の流浪民族「サンカ」に対する見解が多重に織り込まれていく。
「サンカ」の話を主にした内側ストーリーのあらすじを書くとこうなる。
「サンカ」とは古来の狩猟民族の流れをくむもので、農耕定住をしない流浪の民族で、ジプシーの日本人版のようなもの。原始の世界ではそれが普通だったが、やがて人は農耕定住化し、領地領主領民、細分化し、なにがしかの籍に属して社会を形成し、そしてその領地をめぐって争った。
そんな流れに抵抗し古来の流浪生活を守り、誇りをもって、非定住、非農耕、非入籍、戦はしない、という掟を守り、迫害を受けながらも山中に隠れ潜んで脈々と生き続けた民族がいた。
主人公の江間と冴子はその「サンカ」の血統の末裔。彼らが安定していた生活を捨て、幻の名画を探すという脆く儚い冒険に身を投じ結ばれたのは、その血のなせる運命のようなものだった。
やがて政治家の陰謀によりテロリストに仕立て上げられ、国をも追われる身となっていく。現存する「サンカ」の族長のような老人、水沼に助けられ匿われ、自分たちが「サンカ」の血統を引くものであると聞かされ、その話に感銘を受け、ますます流浪に生きる覚悟をする。
そして鳴海ら右翼武闘派の命懸けの活躍により手にした幻の名画150点を、元の持ち主に返却するためパスポートもないまま貨物船などを乗り継いでチリに渡る。
チリでは失われた名画の返却者とし英雄的に迎え入れられるはずだったが
チリは政治的混乱のただ中で・・・
政権は転覆され・・無籍漂流の身の江間と冴子もまた・・・。
とまあこんな話。
作品全体としてはもう一歩まとまりがなく、僕の好みからすると、
いささか話広げすぎな印象もあったが。
著者の「サンカ」に対する思い入れ、ストーリーとはあまり関係ない
何気ない一文の中に響くものや学ぶものは多く、
そこはやはり五木さんらしい、読みごたえある作品だった。
心に残る一文。
「山間を遊行して生きたサンカの人々のセブリ(テントのような住居)の軽便さを貧しさと見たのは平地定住民たちのおごった心ではなかったか。それは絶好の地を見出せば瞬時にして幕張り、必要な際には風のように仕舞う事の出来る見事に合理的な移動居住の生態であった」
僕も平地定住民だけれども・・
平地定住、平穏無事が当たり前、それが日本国民当然の生きる権利だと。
今、あちこちで騒いでいる・・・コロナ戒厳令の夜。
昨今、いろんな未曾有な自然の猛威が人々の生活を脅かす。
そんな時代を生きていく上でサンカの話から学ぶものはある気がした。
むろんこの話の主人公のように流浪には生きられないけれど
もう少し背負っている荷物を軽くすべきではあるかもしれない。
あともう一つ付箋をつけた一文。
「本当のことをありのままに書こうと努めれば務めるほど真実から遠ざかっていく。逆に、真実を捻じ曲げようとすればするほど、皮肉にもその中に隠された真実が露呈してしまう事もある」
まったくそうだなぁ~~~~。
2020・5・20