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「三島由紀夫VS東大全共闘」映画感想

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公開 2020 

監督 豊島圭介

出演 三島由紀夫

   東出昌大(ナレーション)

 

概要

1969年5月13日、 1000人を超える学生たちが待ち受ける
東大駒場キャンパス900番教室に、 ただならぬオーラを放つ文豪・三島由紀夫が現れる。
東大全共闘が、思想も立場も正反対の三島を討論会に招いたのだ。
いったい何のために? 午後2時5分、伝説の幕が開ける──。

その全貌を明かす 衝撃のドキュメンタリー!

(アマゾン商品紹介より)

 

予想どうり討論の内容はチンプンカンプン。

なんとなく感じた事として

三島由紀夫VS東大全共闘=右翼VS左翼=保守VS革新

の激論会にする事が、当時の討論会主催者の狙いで

今回の映画作品の宣伝文句でもあったようですが

蓋を開けてみたら、三島由紀夫ファンクラブの集いのようでした。

というのも、東大全共闘側は三島由紀夫の本をよく読みこんで、

彼の思想、哲学を理解し、その土俵に立ったうえで疑問をぶつける。

それに対し、三島も上から目線で年上風吹かせるでもなく

作家的知識と教養をひけらかしマウントを取ろうとすることもなく

時折ユーモアも混ぜながら、しかし決して茶化すことなく

真摯に丁寧な言葉で応答する。という。

双方、愛に溢れた質疑応答の様相となっていましたので・・。

唯一、緊迫したのが

「それは観念的こじつけじゃないか!俺は三島が殴れるっていうから来たんだぞ」

と遠くからヤジった学生に対し、全共闘の芥正彦さんが

「遠くでいうんじゃないよ!こっち来て殴るなら殴れ」

と怒鳴ったシーン。

結局、このヤジった学生は前に出てきてちゃんと持論を主張し

この人の意見もなかなか面白いんだけど・・。

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現代のSNSで広がる誹謗中傷なんか、まさに届かないところからのヤジだな~

なんて思ったりして。

それもしない僕ら全共闘世代ジュニア、ベビーブーム世代は

昔よく朝生で田原さんに

「最近の若い人はおとなしいね~。なんで立ち上がらないの?(デモしないの?)」

と言われていましたが、僕は思ってましたよ。

全共闘がやっていたことも「戦争反対」と言いながら

火炎瓶投げて,ゲバ棒振り回す。

て、それは本末転倒ってもんでないの?

そんな疑問に対して、この作品の中で印象に残った

三島の言葉の数々。

「何らかの状態で抵抗できない、主体のない相手に対しての攻撃は暴力だが、

主体ある他者との対立構造の中での暴力は闘争である」

「私は合法の暴力が嫌いなんです」

「非合法の暴力は否定しません」

「決闘の論理での闘争として・・人間やるときはやらねばならないと思ってます」

「そん時は警察に捕まる前に自分で自決でもして死にます」

「私が怖いと思うのは、イデオロギーもなにもなく、ただ秩序を守るためのものとして、

法があり、権力を行使しようとすることです」

そして最後に

「諸君らの熱情は信じます。ほかのものは一切信じないにしても、これだけは

信じます」

と講堂を後にする三島。

 

僕は、団塊の世代とか全共闘世代は、職場では直接の上司として接する機会も多くあった世代で、しかし、その存在はどちらかと言えば、

目の上のたんこぶ的存在として疎ましく思ってきたところがありますが

あの時代を生きた人たちの「熱情」は確かに認めざるをえないな~。

などと思ったのでした。

 

全共闘とは何だったのか?

本作から感じたのは僕の解釈を言わせてもらえば。

哲学、思想。保守と革新。暴力と闘争。

いろんな矛盾にゆれながらも、そのイデオロギーをないがしろにせず、

真摯に向き合い、そしてとにかく先んじて行動すること大事にした

若さあふれる熱情のうねりだったのではないか・・・。

世界的に派生した大きなうねり触発された部分もおおいにありつつ・・。

暴力的ではあれど、あくまで合法暴力(戦争や機動隊の鎮圧行為や、物理的でない精神的権力的暴力など)に対して、非合法暴力を行使してのイデオロギー闘争だった。

のかなあ~。

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