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小川洋子「猫を抱いて象と泳ぐ」読書感想

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初版 2011年7月 文春文庫

 

少年がデパートの屋上に取り残された象に心を寄せるところから始まります。

その象インディラは、子象の時に屋上遊園地に見世物として運び込まれ、大きくなったら屋上から降ろせなくなって、そのまま屋上で孤独に生涯を閉じました。

インディラの錆びた足輪の記念碑と、おそらく長年そこにいた事でできた窪みの水溜りに

心を寄せて、少年は想像のなかでインディラを友達にしています。

また、自宅と隣の家の細すぎる隙間に、挟まったまま誰にも気づかれず死んでいった・・・かもしれない少女を想像して、ミイラとあだ名をつけて心の友にしてたり・・。

そんな少年が主人公です。

少年はおそらく今でいう発達障害適応障害か、自閉症か、詳しくはどれになるのか分からないけど、

とにかく、家族以外の他人と接触することが極端に苦手です。

そして、ある日の学校の帰り道で、廃バスの中で猫を抱いて暮らす肥満の男と出会います。

廃バスの男も肥満ゆえにバスの中からほとんど動けない様子が、少年に

屋上の象や壁の隙間のミイラと共通するシンパシーを感じさせるのか・・。

少年は廃バスに通うようになり、男からチェスを習い始めます。

少年は男をマスターと慕うようになり、チェスの才能を開花させていきます。

しかし、対人障害をもつ少年はマスター以外の人間とチェスができません。

少年の才能を何とか伸ばしてやりたいと願うマスターは、パシフィック・チェス倶楽部の入会審査を少年に受けさせますが、対戦相手のとの対面に耐えられない少年は盤下に隠れてしまい不合格になります。

少年は別に落ち込むこともなく、ずっとマスターとチェスができればそれでいい、とまた、廃バス通いの日々を過ごしていきます。

しかし時は、いつまでも同じ場所に留まってはくれず・・・突然訪れるマスターとの別れ。

そんな折、パシフィック・チェス倶楽部の裏の組織である、海底チェス倶楽部の事務局長がやってきて、少年をスカウトします。チェス台の下に潜み、からくり人形「リトル・アリョーヒン」を操るチェスプレーヤーとして。

そして、人形にはどうしてもできない作業を手伝う助手として1人の女性と出会います。

いつも肩に鳩を載せた、華奢な体形のマジシャンの娘です。

少年はその娘に壁に挟まれた空想の少女ミイラを重ねて

彼女に「ミイラ」とあだ名をつけます。

彼女はそんな失礼なあだ名をつけられても文句ひとつ言わず、理由も聞かず、「何か理由があるのね」と受け入れます。

そして彼女は少年にとって、数少ない生涯の友人になるのですが・・。

ある日、そんなミイラが、なにやらいかがわしい人間チェスの駒の代役にされ・・・

少年は海底チェス倶楽部を無断逃亡。

からくり人形を家具職人のおじいさんに折り畳み式に改良してもらい、

からくり人形とともに、老人ホーム「エチュード」に移り・・

その娯楽室で、入居老人相手にからくり人形チェスをしてその生涯を閉じる。

という、なんとも物寂しい話です。

 

舞台は、日本なのか、どこか海外の街か、ファンタジー異世界か、精神世界なのか、わかりません。

僕は日本のデパートの屋上に実際、象がいたと聞いたことがあったので、僕のイメージは日本の、しかも東京となりましたが・・どこか、ジブリの「耳をすませば」の雑貨屋のような雰囲気も感じられ・・読者それぞれのイメージが広がる不思議な世界観に引き込まれます。

チェス少年の話なら、漫画やアニメなら、世界大会に出場するとか、世界チャンピオンになるとか、そんなストーリーもありがちでしょうけど、本作はそういう話にはなりません。

描かれるのは、つつましく、優しく、時に残酷で、切ない、出会いと別れ。

言葉ない静寂の盤下から繰り広げられる棋譜での豊かな会話。

主人公が大切にしているのは勝敗より棋譜(過程)です。

特に圧巻なのは、海底チェス俱楽部でさよならも言わず別れてしまったミイラとの文通シーンです。

ある日「エチュード」にいる主人公に1行の棋譜「e4」とだけ書かれた手紙が送られてきます。海底チェス俱楽部にいるミイラから。それに主人公が「c5」と返事を返し、

以降、棋譜を1行だけ記した手紙のやり取りをしていきます。

 

—ごめんよミイラ。ちゃんとさよならを言わないまま黙って出発して。でもミイラが僕のことを怒ってないと知ってうれしい。7枚目の手紙や11枚目の手紙を見ればわかるんだ。あれは怒りに任せた人が指せるような手じゃない。君は腹を立てて、嫌がらせで手紙を送りつけているわけじゃなく、一緒にチェス盤に詩を綴ろうとしてくれているんだ。

中略

あっ、そうだ、鳩は元気かい?ポーンは元気だよ。

 ミイラに伝えたいことはあふれるほどあったが、彼の手紙もまたたった1行だった。

「Q×g5」-(本文317Pより)

 

ミイラのチェスの腕はそれほど強くはありません。

本当はずっと文通を続けていたい。

しかし、文通を長引かせるために棋譜を捻じ曲げる(手加減をする)ことはせず、全力で応じる主人公の姿勢が、いっそう切なく心に響きます。

 

チェス盤に詩を綴る・・・

 

それはなにもチェスだけじゃなく、どんな世界、職業、

にも当てはまるのではないでしょうか・・。

僕は料理人の端くれなので、料理で例えるなら、

料理で詩を綴る・・・

とは、おいしい料理を作って相手を喜ばせたい。

そう思って手間を惜しまず精いっぱいを尽くす事ではないかな。

しかし、これがなかなかできない。

おいしい料理、といっても味の好みは十人十色だし。

職業としているならなおさら、原価率、スピード。

などの合理化も無視はできないし。

何年も同じことを繰り返すことで技の熟練度は上がるかわり、

精神的、倦怠要素も含まれてきて。

一筋縄にはいきません。

 

人生を棋譜に例えるなら

最期は死=負試合。と結果は決まっています。

でも、その過程にどんな詩を綴れるか・・

できるだけ美しい詩を綴りたいものです。

 

そんなことを思ったのでした。

 

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