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「あゝひめゆりの塔」映画感想

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公開 1968年

監督 舛田利雄

出演 吉永小百合

   浜田光夫

   二谷英明

   乙羽信子

 

ひめゆりの塔という映画はいくつもつくられているようで、

僕も名前は聞いたことあったけどちゃんと観たのは初めてです。

沖縄戦に動員され玉砕あるいは集団自決した女学生たちの悲劇。

かな・・・というイメージでした。

そのイメージ。そんなには間違っていなかったです。

いや。もうちょっとふわっとした話かと思ってましたが(吉永小百合。女学生のイメージから)中盤以降はかなり壮絶なシーンの連続でした

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この映画に描かれていることが、どのぐらい事実に迫っているのか・・

それは分かりません。

「こういう事実があったことを忘れちゃいけません」なんて書くと

あんな事実はなかったなどという話も出てくるでしょうし

細かい内容については語りません。

あくまでも映画ですから、監督の視点、解釈による沖縄戦でいいわけで。

そしてそれを観た人間それぞれの解釈があっていいわけです。

そんなわけで、

監督が沖縄戦をどう描いているのかを僕の解釈として書きます。

まず気になったのが、善悪の視点。

アメリカ悪とも大本営悪とも軍国主義教育悪とも描いない。淡々と、戦争をまるで自然災害のように逃れようもなく突然やってくる運命として描いている。

僕個人的には日本人の太平洋戦争被害は大本営上層部の判断責任によるところが大きいと思っているので、そこを一切描かず、ただ悲惨な被害シーンばかり描くのは若干違和感を感じるのですが・・

当時の実際の庶民の立場に立てば、大本営のずさんな判断など知る由もなく。

戦争が突然やってきた運命と感じたのもまた、その通りかもしれません。

突然やってきた運命である戦争だけど兵隊さんたちが守ってくれる。

だから民間人である女学生も兵隊さんを助ける。それが

別に軍国主義的圧力に強要されなくても当然の人の心理だと

そんな描き方です。

むろん強要されているのですが吉永小百合扮する女学生たちは誰も不平不満は漏らさず健気に従軍看護師の任に邁進します

ここにも一つの落とし穴があって・・

敵側(アメリカ軍)からすれば軍人と民間人の区別がつきにくい・・

区別はできたとしても軍と一体となって後方支援してるなら

まず真っ先に攻撃対象になるのも戦略的道理ではあるのでしょう。

戦国時代の兵糧攻めのようにまず戦力の弱い後方支援を断ってから

本体を攻撃した方が自軍の被害は少なくて済むわけですから。

女学生たちも容赦なく攻撃され、次々と機銃掃射に倒れていきます。

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そうなってくると命の重みがだんだん麻痺してくるというのか・・

日々、隣で話していた人間があっさりごろごろ死んでいくわけですから

自分だけ生きていることが罪なことだと思うようになってくるのですね。

そんな様子が実に見事に描けています。

隣で手榴弾自殺している人がいても

誰も目もくれなくなってくる描写とか

・・・・。

そして最後、校長先生が命懸けで従軍看護師としての任の解散命令を取り付けてきても、女学生たちは受け入れられず、全く喜ばないのです。

自分たちだけ逃げて生き延びようなどと・・とても思えない・・と。

これが戦争の怖さなのだと思いました。

不毛だと無意味だと気が付いても、身近な人の死が、後戻りを許さない

誰に強要されなくとも自分自身が、撤退という選択肢を許さない・・。

そういう人の心のうねりが大きな力となって歯止めが利かなくなり

とことん突き進み、壊滅するまで止まらない・・・。

そんなことを感じました。

映画総評としては、若干、みんなセリフ棒読みなのが気になり、もう一つ感情移入できないのですが、それが逆に客観的に観られる戦争映画でした。

僕が今まで観てきた日本の戦争映画は軍国主義圧力の被害者としての学徒出陣というものが多かったので、そこは一味違う解釈で斬新でした。

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